#25分

「忙しい」を作っているのは、いつも自分

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「忙しい」を作っているのは、いつも自分

「忙しくて」と、つい口にする。


予定が埋まっている。

メッセージが鳴り続けている。

タスクリストが終わらない。


それを「忙しい」と呼ぶ。


でも、本当にそうだろうか。


予定を入れているのは、誰か

少し冷静に、考えてみる。


予定表に会議を入れたのは、誰だろう。


メッセージに返事をしているのは、誰だろう。


タスクリストにタスクを追加したのは、誰だろう。


全部、自分だ。


頼まれたから、入れた。

期待されているから、返した。

責任を感じたから、引き受けた。


「忙しさ」は、自分の選択の積み重ねだ。


それなのに人は、忙しさを「外から来たもの」のように扱う。


なぜ「忙しい」を美徳にしたのか

「忙しい」は、いつから美徳になったのだろう。


16世紀のヨーロッパ。

宗教改革者ジャン・カルヴァンは、こう説いた。


「勤勉に働くことは、神の栄光を示すことだ」


「働かない者」は、神に背く者とされた。


この考えは、プロテスタンティズムを通じて欧米に広がった。


社会学者マックス・ヴェーバーは、これを「資本主義の精神」と呼んだ。


「忙しい人=立派な人」という価値観は、宗教から生まれた近代の発明だ。


時計が支配した時代

18世紀の産業革命が、それを加速させた。


工場が生まれ、労働者は時計の鐘で動くようになった。


それまでの農民は、太陽と季節で生きていた。


産業革命後、人は「時間」に管理された。


「時は金なり」というベンジャミン・フランクリンの言葉が広まった。


時間を空けることは「損」になった。


予定が埋まっていない人は、価値の低い人と見なされた。


現代に残る亡霊

産業革命から250年が経った。


工場の時代は終わり、知識労働の時代になった。


それでも、「忙しさ=価値」という亡霊は残っている。


「最近どう?」と聞かれたら、人は答える。


「忙しくて」


それを言うことで、自分の価値を証明している。


「ヒマです」と答える人は、少ない。


ヒマだと答えると、なぜか負けた気がする。


「忙しい」と言わなければ、何が残るか

試しに、「忙しい」と一度も言わずに1週間を過ごしてみる。


代わりに、「やりたいことをやっている」と言う。

「集中している」と言う。

「楽しんでいる」と言う。


それでも、表現に困らないだろう。


「忙しい」という言葉は、実は何も言っていない。


「私は今、忙しさという鎧を着ている」と告白しているだけだ。


終わりに

「忙しい」を作っているのは、誰か。


頼んだ相手ではない。

期待した社会でもない。


入れたのも、引き受けたのも、自分だ。


そして、「忙しい」と呼ぶことで、その選択から目をそらしている。