システムエンジニアとしての正解と、経営者としての正解は違う。
マレーシアに来て2ヶ月ほど経った頃、1件の問い合わせが私のもとに届いた。この案件が、提案の仕方を根本から考え直すきっかけになった。
案件の概要
日本でボクシングジムを経営されている方から、マレーシアでのボクシングジム展開についての相談だった。
相談内容は大きく2つ。
- 集客 — 広告・SNSマーケティング
- システム — 入退会管理・入金管理
先方の要望は明確だった。
- 入会したらアプリをダウンロード
- アプリのマイページに表示されるQRコードで入退館管理
- 入金管理もセットで一元化
ジムの運営に必要な機能を、アプリ1つで完結させたいという要望だ。理想としては完璧なシステム像だった。
提案:3つの選択肢を用意した
海外での新規展開は不確実性が高い。初期投資には慎重にならざるを得ない。
私は3つの選択肢を提案した。
| 提案 | 内容 | 概算費用 |
|---|---|---|
| プランA | フル機能アプリ開発(QR入退館・入金管理・会員マイページ) | 70〜90万円 |
| プランB | スプレッドシート + GASによる最低限の管理システム | 約10万円 |
| プランC | システム開発なし(広告・SNSマーケのみ) | 0円(開発費) |
プランAは理想形。プランBはミニマム構成。プランCはシステムを後回しにする選択だ。
クライアントの決断:「まずは集客に集中する」
結果、クライアントが選んだのはプランCだった。
システム開発は見送り、広告とSNSマーケティングに全リソースを集中する。
エンジニアの視点では、「システムがないと運営が大変になるのでは」と思った。しかし、経営者の視点では至極合理的な判断だった。
海外で新規ジムを立ち上げる。会員が集まるかどうかもわからない段階で、70万円のシステム投資は重い。10万円でも、まだ見えていないリターンに対する先行投資だ。
まずは会員を集めること。それが最優先。 システムはエクセルで回せばいい。
結果:マーケティングは大成功した
この判断は正しかった。
マーケティング施策が見事にハマり、オープン初日から30人以上の会員登録があった。その後も順調に増え続け、現在は100名を超える活発なボクシングジムに成長している。
マレーシアでの新規展開で、これだけの数字を出せたのは、集客に全力を注いだ結果だ。
現在の運営はエクセルやスプレッドシートを駆使して行っているとのこと。手作業が多く大変な部分もあるが、まずビジネスとして成立させることを優先した結果、しっかりと売上が立つジムになった。
エンジニアとして感じた反省
この案件を通じて、私はエンジニアとしての自分の提案を振り返った。
正直に言えば、最初から大きなシステムを提案すること自体が間違いだったかもしれない。
70〜90万円の提案は、技術的には妥当な見積もりだ。しかし、海外で新規事業を立ち上げるクライアントにとって、それは**「まだ見えていない未来への投資」**だった。
10万円のGAS提案はコストを抑えたつもりだったが、それでもクライアントにとっては「今すぐ必要ではないコスト」だった。
経営者の葛藤
新規事業の経営者には、常に葛藤がある。
- お金をかけないでやりたい
- でも仕組みはしっかりしたい
- 先行投資は怖い
- でも競合に負けたくない
この葛藤の中で、「まずは売上を立てる」という判断ができること自体が、優れた経営判断だと思う。システムは後からでも入れられる。しかし、立ち上げ時に集客を失敗したら、システムを入れる機会すらない。
学んだ教訓:提案の順番を変える
この経験から、私は提案の順番を変えた。
Before:システムエンジニアの提案
- 要件を聞く
- 最適なシステムを設計する
- 見積もりを出す
- 開発する
After:ビジネスに寄り添う提案
- ビジネスの現在地を理解する
- 「今、本当に必要なもの」だけを提案する
- お金をかけない仕組みでまず立ち上げる
- 売上がついてきたら、システム化を提案する
順番が違うだけで、クライアントの信頼度が大きく変わる。
「まずはエクセルで回しましょう。会員が50人を超えたら、管理システムを入れましょう」
この一言が言えるかどうか。エンジニアとしてはシステムを作りたい。しかし、クライアントのビジネスを成功させることが、本当のゴールだ。
「海外展開 × MVP」のフレームワーク
この経験はボクシングジムに限った話ではない。海外で新規事業を立ち上げるあらゆるケースに通じるフレームワークとして整理できる。
なぜ海外展開でMVPが重要なのか
海外市場には、国内にはない不確実性がある。
- 市場の反応が読めない。 日本で成功したモデルが、そのまま通用するとは限らない
- 法規制や商習慣が異なる。 決済手段、個人情報の扱い、現地の業界慣行——仕様を固めにくい
- 為替リスクがある。 初期投資額の価値が変動する
こうした環境で、大規模システムを先に作るのはリスクが大きい。まず最小限の仕組みでビジネス仮説を検証し、売上がついてからシステム化する。 これがMVPアプローチの本質だ。
プランA/B/Cテンプレート
ボクシングジムの提案で使った3段階の選択肢は、業種を問わず応用できる。
| プラン | 内容 | 適用タイミング | 判断基準 |
|---|---|---|---|
| プランA(理想形) | フル機能のシステム開発 | 売上が安定し、手作業がボトルネックになったとき | 月間売上が開発費を6ヶ月以内に回収できる |
| プランB(ミニマム) | スプレッドシート+GAS等のローコスト構成 | 顧客が増え始め、管理工数が限界に近づいたとき | 手作業の工数が月20時間を超えた |
| プランC(ゼロシステム) | 既存ツール(エクセル、紙、LINE等)で運営 | 事業立ち上げ初期、市場検証フェーズ | まだ売上や顧客数が見えていない |
ポイントは、クライアントに3つの選択肢を提示すること。 エンジニアが「これがベストです」と1つの案を押し付けるのではなく、経営判断の余地を残す。クライアント自身が判断できるよう、各プランの費用・効果・リスクを明示する。
AI開発が変える「次の提案」
ここで、もう一つの教訓がある。
当時の提案では、最低限のシステムでも10万円、フル機能なら70〜90万円という見積もりだった。この金額感が、クライアントの決断を躊躇させた要因の一つだ。
しかし今、AI社員を活用した開発であれば、この構造が変わる。
| 項目 | 従来の開発 | AI活用開発 |
|---|---|---|
| 最低限のMVP | 10〜30万円 | 数万円〜 |
| 開発期間 | 2〜4週間 | 数日〜1週間 |
| 保守コスト | 月数万円 | 大幅削減 |
AI社員と一緒に開発すれば、**「まずはMVPを数万円で作って試してみましょう」**という提案ができる。AI社員の実稼働データについてはAI社員の実稼働データはこちらで公開している。
クライアントにとって「70万円のシステム投資」は重い決断だが、「数万円で最低限のものを試す」なら、ハードルは劇的に下がる。
理想の提案フロー:3フェーズ構成
今後同じような相談が来たら、こう提案する。
| フェーズ | 内容 | 目的 | 費用目安 | 移行の判断基準 |
|---|---|---|---|---|
| Phase 1 | エクセル・スプレッドシートで運営。広告・SNSマーケに集中 | ビジネス仮説の検証 | 0円(開発費) | 顧客が集まり、手作業の限界が見えたとき |
| Phase 2 | AI開発で最小限のシステムを構築。基本機能だけに絞る | 運営の効率化 | 数万円〜 | 売上が安定し、追加機能の需要が明確になったとき |
| Phase 3 | 入金管理・分析機能を追加。実運用データに基づいた設計 | 本格的なスケール | 要件次第 | — |
このフローなら、クライアントはリスクを最小限に抑えながら、段階的にシステムを整備できる。
AI開発のMVPで注意すべき点
AI開発でMVPのコストが下がったからといって、何でも作ればいいわけではない。
- MVPはあくまで「検証」のためのもの。 検証すべき仮説が明確でないMVPは、安くても無駄になる
- 「安いから作る」は危険。 コストが低くても、クライアントの運用負荷は発生する。運用フローが確立していない段階でシステムを入れると、混乱を招くことがある
- AI開発でもセキュリティは手を抜けない。 MVPだからといって認証やデータ保護を省略すると、本格移行時に全面作り直しになるリスクがある
- 「MVPの延命」に注意。 検証用に作った仕組みをそのまま本番運用し続けると、技術的負債が積み上がる。Phase 2への移行タイミングを事前に決めておく
まとめ:安くて早くて、使う人を助けるシステムを
この案件を通じて、改めて感じたことがある。
システム開発は、もっと安くて、もっと早くて、使う人を本当に助けるものであるべきだ。
大きなシステムを最初から提案して、クライアントを悩ませるのではない。まずはビジネスを立ち上げる。売上を作る。その上で、本当に必要になったタイミングで、必要な分だけシステムを入れる。
AI開発の進化により、この「必要な分だけ」のコストは劇的に下がっている。
エンジニアの仕事は、コードを書くことではない。クライアントのビジネスを成功させることだ。そのために、時には「今はシステムを作らない」という提案こそが、最善の答えになる。
AI社員を活用した開発体制についてはAI社員の実稼働データはこちらをご覧ください。AI活用での失敗と教訓はAI活用で痛感した失敗と教訓で解説しています。
システム開発やAI活用についてのご相談はお問い合わせからお気軽にどうぞ。