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現行踏襲という呪い|新システムなのに旧業務を再現する日本企業の構造的問題

Summary

「新システムを入れるのに、今の業務と同じにしてくれ」——このひと言が数億円の投資を無駄にする。BCGの調査では500人月超のQCD達成率は20%未満。ERP目標達成率は55-75%が未達。誰がボタンを押しても同じ結果が出る——それがシステムの本質だ。属人化を解消し業務を標準化するためのアプローチをPMの視点から提示する。

「新しいシステムを入れます。ただし、今の業務フローは変えないでください。」

あるプロジェクトのキックオフで聞いたこの言葉を、私は今でも覚えている。数億円をかけて新しいシステムを導入するのに、旧システムの業務フローをそのまま再現しろという。矛盾している。声を上げた。却下された。案の定、プロジェクトは低ROI(投資対効果)で終わった。

これは特殊な事例ではない。日本中の現場で、今日も同じことが起きている。

数字が語る「システム刷新」の惨状

QCD達成率20%未満、83.9%が一部〜完全失敗、ERP目標未達55-75% — 数字が語るシステム刷新の惨状

まず数字を見てほしい。

指標数値出典
500人月超のQCD(品質・コスト・納期)達成率20%未満BCG
IT PJ一部〜完全失敗率83.9%Standish Group
ERP(統合基幹業務システム)目標未達率55-75%Gartner
大規模PJ追加投資額200-450億円BCG事例

500人月を超える大規模プロジェクトでは、QCDを3つとも達成できるのは5件に1件もない。ERPに限ると、導入目標を達成できていないプロジェクトが半数以上だ。

なぜこうなるのか。原因は技術力の不足ではない。「現行踏襲」という意思決定の構造にある。

「現行踏襲」の正体

現場が変化を拒否する構造

属人化→「うちは特殊」→丸投げ→現行踏襲が繰り返される悪循環サイクル

現行踏襲は、個人の怠慢ではなく組織の構造的な問題だ。悪循環はこう回っている。

属人化の壁。 中小企業の74〜79%が「業務が特定の人に依存している」と認識している(SMB調査)。にもかかわらず、その状態を解消するために動いている企業は少数派だ。なぜなら「属人化している」と認識することと、「属人化を解消する」と決断することの間には巨大な溝がある。

「うちは特殊」症候群。 業務の8割は他社と同じなのに、残り2割の例外処理を根拠に「うちは特殊だから標準パッケージでは対応できない」と主張する。この2割の死守が、カスタマイズ費用を膨張させる。

丸投げの問題。 経産省が2025年5月のレポートで指摘した通り、要件定義をベンダーに丸投げする企業が多い。自社の業務を自社で定義できていない。だから「今と同じにして」以外の要件が出てこない。

この3つが合わさって、「現行踏襲」がデフォルトの要件になる。そして新システムでも属人化が再生産され、5〜10年後の次期プロジェクトで同じことが繰り返される。

人間がシステムに融合する現象

「田中さんがいないと業務が回らない」——この状態は、田中さんがシステムの一部になっているということだ。

システムの本質は「誰がボタンを押しても同じ結果が出る」ことにある。しかし属人化が進むと、特定の個人の判断・記憶・経験がシステムの動作に不可欠になる。人間がシステムに融合してしまう。

これが組織全体で起きている証拠がある。

  • 人手不足倒産: 2025年、過去最多の427件。人が抜けたら事業が止まる企業がこれだけある
  • レガシーシステム20年超: 約60%の企業が20年以上前のシステムを使い続けている
  • 経産省「2025年の崖」: この状態が続くと、最大年間12兆円の経済損失が生じると試算された

属人化は「あの人が優秀だから」で片付く話ではない。経営リスクだ。

私が経験した「現行踏襲」プロジェクト

変換ツールという名の延命装置

変換ツール方式(旧ルール移植)vs 業務標準化方式(業務を先に再設計)の比較

あるプロジェクトで、私は「変換ツール」の開発に関わった。旧システムの独自ルール——長年かけて積み上がった例外処理、暗黙の判断ロジック、誰も全体像を把握していない業務フロー——を、新システムに移植するための中間層だ。

本末転倒だった。新しいシステムを入れる目的は業務を改善することなのに、旧システムの動きを完璧に再現することが目標になっていた。変換ツールは「延命装置」だった。旧業務の属人的なルールを、新しい技術基盤の上で延命させる装置。

「このままでは失敗する」と言った

私はプロジェクトの初期段階で声を上げた。

「業務フローを先に見直すべきだ。旧ルールをそのまま移植したら、コストだけが膨らんで本来の目的を達成できない。」

却下された。理由は「現場が混乱する」「移行リスクが大きい」「スケジュールに間に合わない」。どれも短期的には正しい。しかし中長期的には全て間違っていた。

結果はどうなったか。予想通りだ。変換ツールの開発に膨大な工数がかかり、テストケースは旧システムの動作を基準に作られ、本番稼働後も「前のシステムと動きが違う」という問い合わせが殺到した。ROIは計画を大幅に下回った。

「猫がボタンを押しても同じ結果が出る」のがシステムだ

この経験から、私は一つの哲学を確立した。

「猫がボタンを押しても同じ結果が出る」——それがシステムの本質だ。

誰が操作しても、いつ操作しても、同じ入力に対して同じ出力が返る。これがシステムの価値であり、存在意義だ。属人化とは、この原則が壊れている状態のことを指す。

「田中さんが判断しないと次に進めない」「このExcelは鈴木さんしかメンテできない」「例外処理のルールは佐藤さんの頭の中にある」——これらは全て、システムが不完全であることの証拠だ。

現行踏襲が生む3つのコスト

カスタマイズ費用の膨張、教育コストの固定化、次の刷新でも同じ問題が再発 — 現行踏襲が生む3つのコスト

1. カスタマイズ費用の膨張

BCGの事例では、大規模プロジェクトで200〜450億円の追加投資が発生している。その大部分は「現行業務の再現」のためのカスタマイズだ。標準パッケージをそのまま使えば不要だった費用が、「うちは特殊だから」の一言で積み上がる。

2. 教育コストの固定化

属人的なルールが新システムに移植されると、新入社員はそのルールを一から学ばなければならない。マニュアルには書かれていない暗黙知が大量にある。OJT(実務を通じた教育訓練)に依存する教育が続き、「一人前になるまで3年」という状態が固定化する。

3. 次の刷新でも同じ問題が再発

最も深刻なのはこれだ。現行踏襲で導入したシステムは、5〜10年後に「レガシー」になる。そのとき、また「現行踏襲で」と言い出す。負のスパイラルが永久に回り続ける。

この3つのコストは複利で膨張する。先送りするほど、次の改革のハードルが上がる。

現行踏襲を断ち切る処方箋

業務棚卸し→トップダウン標準化→猫テスト→AI活用の4ステップ処方箋

1. 業務棚卸しを「先に」やる

システムの要件定義の前に、業務そのものを棚卸しする。現場に行き、実際にどんな業務が行われているかを観察する。ヒアリングだけでは足りない。人は自分の業務を正確に説明できないからだ。

現場に行けで書いた通り、現場観察は全てのプロジェクトの出発点だ。

2. 標準化の判断をトップダウンで

業務棚卸しの結果をもとに、経営層が「何を残し、何を廃止するか」を決める。これはボトムアップでは決まらない。 現場は自分の業務を守ろうとする。それは自然なことだ。だからこそ経営が判断する。

判断基準標準化する残す
法規制で必須
業界標準と同じ
担当者しか説明できない✅(ルール化)
顧客価値に直結✅(差別化)
月1回以下の例外処理✅(簡素化)

3. 「猫テスト」を設計基準にする

全ての業務プロセスに対して問う——「猫がボタンを押しても同じ結果が出るか?」

答えがNoなら、そこには属人的な判断が潜んでいる。その判断をルール化し、システムに実装する。ルール化できない判断は、人間が行う領域として明確に分離する。

  • ✅ 猫テストOK: 入力→処理→出力が一意に決まる
  • ⚠️ 要改善: 判断基準はあるがマニュアル化されていない
  • ❌ 猫テストNG: 特定の人の経験と勘に依存している

4. AIとシステムで属人化を解消

判断ロジックをシステムに実装し、AIで補完する。PMBOK-AIフレームワークでは、AIを「判断支援ツール」として位置づけている。人間が最終判断を行い、AIがその判断に必要な情報を整理・提示する。

属人化の解消は「人を排除する」ことではない。「人に依存しなくても回る仕組み」を作った上で、人がより高度な判断に集中することだ。

まとめ — システムは経営の武器だ

  1. 現行踏襲は構造的な問題。 個人の怠慢ではなく、属人化・「うちは特殊」・丸投げの悪循環が原因
  2. 「猫がボタンを押しても同じ結果が出る」がシステムの本質。 この基準で全業務を見直す
  3. 業務標準化が先、システム導入が後。 順番を間違えると数百億円の投資が無駄になる

システムは経営の武器だ。しかし「現行踏襲」という呪いにかかったまま導入すれば、武器ではなく足枷になる。

呪いを解くのはシンプルだ。業務を先に変える。 それだけで、システムは本来の力を発揮する。


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