#85分

第5回: 情報革命 ─ 私は繋がっていない

哲学エッセイ

第5回: 情報革命 ─ 私は繋がっていない

前回まで、歴史を語ってきた。

今回は、私自身の話をする。


告白

2024年現在、私はSNSをほとんど使っていない。

Facebookは放置している。Twitterは見るだけ。Instagramはアカウントすらない。

「情報革命」を語る人間が、情報革命から距離を置いている。

矛盾に見えるかもしれない。

しかし、これには理由がある。


2011年、私は壊れた

第1回で書いた。

東日本大震災の後、パワハラで壊れた。

あのとき、何が起きていたか。

上司からのLINE。深夜2時。「明日の資料は?」

同僚からのメール。休日。「あの件どうなってますか?」

24時間、「接続」されていた。

逃げ場がなかった。


「繋がり」ではなかった

私を追い詰めたのは「繋がり」ではない。

「接続」だった。

人間関係ではない。通知だった。

「繋がり」は心を支える。「接続」は心を削る。

この違いに、当時の私は気づいていなかった。


数字で見る孤独

ここで、データを見てみよう。

内閣府『令和4年版 子供・若者白書』によると、日本の若者(15-39歳)の約40%が「孤独を感じることがある」と回答している。

厚生労働省『令和4年版 厚生労働白書』では、「孤独・孤立」が社会問題として初めて正式に取り上げられた。

SNS利用率は90%を超えている。しかし、孤独感は増している。

「接続」と「繋がり」は、別のものだ。


シェリー・タークルの警告

MITの社会学者シェリー・タークル。

著書『Alone Together』(邦題『つながっているのに孤独』、ダイヤモンド社、2018年)で、彼女は警告した。

「私たちは、機械に期待することを増やし、人間に期待することを減らしている」

タークルは、テクノロジーが人間関係を「効率化」しすぎていると指摘する。

効率的な接続は、深い繋がりの代替にはならない。むしろ、深い繋がりを阻害する。


私の経験 ─ マレーシアで気づいたこと

2023年12月、私はマレーシアに移住した。

日本との時差は1時間。しかし、心理的な距離は大きい。

日本語のSNSを見なくなった。日本のニュースも追わなくなった。

最初は不安だった。「取り残される」と思った。

しかし、1ヶ月後、気づいた。

何も変わっていない。いや、むしろ良くなっている。


「繋がらない」という選択

マレーシアで、私は「繋がらない」を選んだ。

日本のニュースを追わない。SNSを見ない。通知を切る。

代わりに、目の前の仕事に集中する。家族との時間を大切にする。

「情報」は減った。しかし「理解」は深まった。

「接続」は減った。しかし「繋がり」は強まった。

これが、情報革命の逆説だ。


1995年の約束

1995年。Windows 95。日本のインターネット元年。

「世界と繋がれる」

この約束は、半分だけ実現した。

「接続」は完璧に実現した。スマートフォンがあれば、地球の裏側ともリアルタイムで話せる。

しかし「繋がり」は実現していない。むしろ、希薄になっている。


比較という毒

SNS以前、人間が比較できる対象は限られていた。

隣の家。同級生。職場の同僚。せいぜい数十人だ。

SNS以後、比較対象は無限になった。

世界中の成功者。インフルエンサー。セレブリティ。

彼らの「最高の瞬間」と、自分の「日常」を比較する。

勝てるわけがない。

SNSは「幸福の基準」を壊した。


AI時代との違い

情報革命とAI革命は、何が違うか。

情報革命は「接続」を可能にした。AI革命は「代行」を可能にする。

情報革命では、人間が情報を処理していた。AI革命では、AIが情報を処理する。

人間は「処理する側」から「処理される側」に移りつつある。

しかし、本質的な問題は変わらない。

「繋がり」は技術では作れない。


どう生きるか

情報革命から学べること。

第一に、「接続」と「繋がり」を区別する。通知の数は「繋がり」の深さを意味しない。

第二に、「繋がらない」を選ぶ勇気を持つ。すべての情報を追う必要はない。

第三に、「深さ」を選ぶ。1万人のフォロワーより、1人の理解者。

私はマレーシアで、これを実践している。


次回予告

第6回では「AI革命」を取り上げる。

農耕革命は「所有」を変えた。産業革命は「時間」を変えた。情報革命は「接続」を変えた。

そしてAI革命は「思考」を変えようとしている。

「考える」とは何か。

この問いに、人類は初めて直面している。