部屋に静かに座っていられない人間
17世紀のフランス。
数学者ブレーズ・パスカルは、人間について不思議な観察を残した。
「人間の不幸はみな、ただひとつのこと、すなわち部屋の中に静かに座っていられないことから来る」
『パンセ』。
300年以上前の言葉だ。
なぜ人は、静かに座っていられないのか。
王様にも、貧しい人にも、共通すること
パスカルは、当時の王侯貴族を観察していた。
何でも持っている人々が、なぜわざわざ狩りに出かけるのか。
獲物が欲しいわけではない。
獲物なら、買えばいい。
それでも彼らは、馬に乗り、犬を連れ、森に出かけていく。
パスカルは見抜いた。
彼らは、獲物が欲しいのではない。
「狩りという忙しさ」が欲しいのだ。
何かに没頭していないと、自分と向き合うことになる。
向き合った先にあるのは、人間の有限性。
死。孤独。意味のなさ。
それが怖くて、人は走り続ける。
現代の「静かに座っていられない」
パスカルが見ていた狩りは、現代では何だろうか。
スマホを開く。
通知を確認する。
SNSをスクロールする。
ニュースをチェックする。
気づいたら、1時間が経っている。
何を得たわけでもない。
何を考えたわけでもない。
ただ「何もしていない時間」を、避けただけだ。
私たちは、王様と同じことをしている。
「忙しい」は、安心の鎧
予定が埋まっている人は、安心する。
スケジュール表に空白があると、不安になる。
「自分は何かを失っているのではないか」
「みんなが進んでいるのに、自分だけ立ち止まっているのではないか」
その不安から逃げるために、また予定を入れる。
忙しさは、安心の鎧だ。
でも、鎧は重い。
長く着ていると、本来の動きを忘れる。
静けさを取り戻すには
パスカルは、静かに座っていられる人を「幸福」だと書いた。
しかしそれは、特別な訓練を要する。
何もしないでいることに、慣れる必要がある。
退屈に、耐える必要がある。
スマホを置く。
予定を入れない時間を作る。
通知をオフにする。
最初は、落ち着かない。
「サボっているのではないか」と感じる。
それが、静けさへの怖さの正体だ。
終わりに
なぜ人は、静かに座っていられないのか。
それは、座った先に「自分」が待っているからだ。
忙しさは、自分から逃げる手段。
逃げ続けた先に、何があるのだろう。