第3回:「頼まれごと」で生きるということ
「やりたいことをやれ」
現代の正解とされている言葉だ。
自分の情熱を見つけろ、と言われる。
好きなことを仕事にしろ、と言われる。
自分らしく生きろ、と言われる。
そう言われて育った。
そう言われて、迷ってきた。
でも、小林正観は違うことを言う。
「頼まれたことをやりなさい」と。
頼まれごとは試されごと
小林正観の有名な言葉がある。
「頼まれごとは試されごと」
人から何かを頼まれたとき、それは自分を試す機会だという。
引き受けるか、断るか。
どう対応するかで、自分が試される。
そして、頼まれたことを淡々とやっていると、次の頼まれごとが来る。
その繰り返しが、人生を形作っていく。
つまり、自分から「やりたいこと」を探さなくていい。
頼まれたことをやっていれば、道が開ける。
そういう考え方だ。
自分の意志はどこへ行くのか
この教えを聞いて、違和感を覚える人もいるだろう。
自分のやりたいことは、どうなるのか。
人生の主人公は、自分ではないのか。
頼まれるがままに生きることは、主体性の放棄ではないのか。
もっともな疑問だ。
でも、少し考えてみたい。
「やりたいこと」とは、どこから来るのだろう。
「やりたいこと」の正体
「やりたいこと」は、自分の内側から湧いてくると思っている。
純粋な欲求。本当の自分の声。
でも、本当にそうだろうか。
「プログラマーになりたい」という欲求は、プログラミングという職業を知らなければ生まれない。
「起業したい」という欲求は、起業という選択肢を知らなければ生まれない。
「やりたいこと」は、外から入ってきた情報に反応して生まれる。
純粋に内側から湧いてくるわけではない。
そう考えると、「やりたいこと」と「頼まれたこと」の境界は、思っているほど明確ではないのかもしれない。
使命は与えられるもの
小林正観は、使命についても語っている。
使命は、自分で見つけるものではない。
与えられるものだ、と。
これも、現代の常識とは逆だ。
「自分の使命を見つけろ」と言われる時代に、「使命は与えられる」と言う。
でも、考えてみると、歴史上の偉人たちの多くは、自分から使命を見つけたわけではない。
状況が、彼らを使命に導いた。
頼まれたこと、求められたことに応えているうちに、使命になった。
ガンジーは、最初から独立運動の指導者になろうとしたわけではない。
マザー・テレサは、最初から貧しい人々を助ける聖人になろうとしたわけではない。
目の前の「頼まれごと」に応えているうちに、使命が形になった。
そう考えると、「頼まれごとで生きる」という教えは、単なる受動的な生き方ではないのかもしれない。
委ねることと、流されることの違い
でも、疑問は残る。
頼まれたことをやるだけで、本当にいいのか。
それは、流されているだけではないのか。
委ねることと、流されることの違いは何だろう。
一つ、手がかりがある。
小林正観は「淡々と」という言葉をよく使う。
頼まれたことを、淡々とやる。
不平不満を言わず、淡々と。
期待せず、淡々と。
「淡々と」というのは、感情に振り回されないということだ。
嫌だと思っても、やる。
評価されなくても、やる。
流されるとは、感情に従うこと。
やりたくないからやらない。評価されないからやめる。
委ねるとは、感情を超えて行動すること。
やりたくなくても、頼まれたからやる。評価されなくても、続ける。
この違いは、外からは見えにくい。
でも、本人の中では大きな違いがある。
主体性の再定義
ここで、主体性について考え直してみたい。
主体性とは「自分で決める」ことだと思っている。
やりたいことを自分で見つけ、自分で選ぶ。
でも、別の主体性もあるのではないか。
「どう応えるか」を自分で決める主体性。
頼まれたことに対して、どう取り組むかは自分で決められる。
手を抜くこともできる。全力を尽くすこともできる。
「何をやるか」は与えられる。
「どうやるか」は自分で決める。
それも、一つの主体性なのかもしれない。
答えは出ない
「頼まれごとで生きる」という教えは、賛否が分かれるだろう。
自分の情熱を信じる人にとっては、物足りないかもしれない。
主体性を重んじる人にとっては、危険に見えるかもしれない。
でも、「やりたいこと」が見つからなくて苦しんでいる人には、救いになるかもしれない。
目の前の頼まれごとに、誠実に応えればいい。
それだけで、道が開ける。
どちらが正しいかは分からない。
人によって、時期によって、合う教えは違うのかもしれない。
ここまでの気づき
- 「やりたいこと」も、外からの影響で生まれている。純粋に内側から湧くわけではない
- 委ねることと流されることは違う。「どうやるか」は自分で決められる
- 「頼まれごとで生きる」は、一部の人には救いになるかもしれない
明日へ
小林正観の教えには、スピリチュアルな側面もある。
「宇宙が味方してくれる」
「良いことをすれば良いことが返る」
それは、本当だろうか。
不幸な人は、宇宙に見放されているのだろうか。
明日、考えてみたい。