第1回:なぜ政治家はコロコロ変わるのか
選挙前。
「国民の声を聞きます」
「無駄を徹底的になくします」
「この国を変えます」
選挙後。
「さまざまな事情を総合的に勘案し」
「前向きに検討してまいります」
「慎重に対応する必要があると考えております」
同じ人が言っているとは思えない。
テレビを見ながら、思う。
また変わったな、と。
「嘘つき」で片付けていいのか
こういう話をすると、大体こうなる。
「政治家なんて嘘つきだ」
「最初から守る気がなかったんだ」
「結局、自分のことしか考えていない」
そう思う気持ちは分かる。
自分もそう思うことがある。
でも、少し立ち止まって考えてみたい。
本当に、全員が嘘をついていたのだろうか。
最初から騙すつもりだったのだろうか。
もしそうなら、なぜ政治家になろうと思ったのだろう。
嘘をつくために、あの過酷な選挙を戦ったのだろうか。
何か別のことが起きている気がする。
変わったのか、変えられたのか
ここで、ひとつの問いが浮かぶ。
政治家は「変わった」のか。
それとも「変えられた」のか。
志を持って当選した人がいるとする。
ところが、当選した途端に見える景色が変わる。
党内の力学。省庁の論理。利害関係者の圧力。
予算の制約。前例の壁。法律の限界。
「やりたいこと」と「できること」の間に、巨大な溝がある。
その溝の存在を、当選するまで知らなかった。
知った瞬間、選択を迫られる。
理想を貫いて孤立するか。
現実に適応して生き残るか。
多くの人は、後者を選ぶ。
それを外から見て、「変わった」と言う。
本人は、「現実を知った」と思っている。
どちらが正しいのだろう。
野党と与党の不思議
もっと分かりやすい例がある。
野党時代は激しく批判していた政策を、与党になった途端に推進する政治家がいる。
野党のとき。
「こんな政策は許されない」
「国民を馬鹿にしている」
「即刻撤回するべきだ」
与党になったとき。
「さまざまな観点から検討した結果」
「現実的な判断として」
「この方向性が最善であると」
見ている側は、開いた口がふさがらない。
つい最近まで、あれだけ反対していたのに。
でも、本人の中では辻褄が合っている。
「あのときは情報が限られていた」
「今は全体が見えている」
「責任ある立場で判断している」
これは嘘だろうか。
それとも、本当に見え方が変わったのだろうか。
政治家だけの話だろうか
ここまで政治家の話をしてきた。
でも、ふと思う。
これは政治家だけの話だろうか。
自分の周りにも、立場が変わった途端に言うことが変わった人はいないだろうか。
そして、自分自身はどうだろうか。
もしかしたら、「立場」というものには、人を変える力があるのかもしれない。
変わりたくなくても、変わってしまう力が。
ここまでの気づき
- 政治家の変節は「嘘」だけでは説明しきれないのかもしれない
- 「変わった」のか「変えられた」のか、見る角度で違って見える
- これは政治家だけの問題ではなく、人間の構造の問題かもしれない
明日へ
立場が変わると、なぜ人は変わるのか。
そこには、もっと深い仕組みがあるような気がする。
「見えるもの」が変わるのか。
それとも「守るもの」が変わるのか。
明日、考えてみたい。