第3回:「ブレない」は本当に美徳か
「あの人はブレない」
これは褒め言葉だ。
信念を曲げない。筋を通す。何があっても変わらない。
そういう人を、尊敬する。
逆に、「あの人はブレる」と言われたら、信頼を失う。
優柔不断。八方美人。風見鶏。
ブレることは、弱さの証拠だと思われている。
でも、少し立ち止まって考えてみたい。
ブレないことは、本当にいつも正しいのだろうか。
変わらないという頑固さ
こんな人がいる。
「自分は20年間、同じことを言い続けている」
それだけ聞くと、立派に聞こえる。
でも、世の中は20年間で大きく変わった。
技術が変わった。価値観が変わった。社会構造が変わった。
20年前と同じことを言い続けるのは、一貫性だろうか。
それとも、世界が変わったことに気づいていないだけだろうか。
20年前は「仕事のために生きる」のが当たり前だった。今は「自分のために生きる」と言っても怒られない。
20年前は「転職は根性なし」だった。今は「キャリアを主体的に選ぶ」になった。
常識は変わる。世界は動いている。
その中で同じことを言い続けることは、信念だろうか。それとも、世界が動いたことに気づいていないだけだろうか。
「変わらない」は「学ばない」と紙一重だ。
変わることへの恐怖
なぜ、人は変わることを恐れるのだろう。
意見を変えると、「あのとき嘘をついていたのか」と言われる。
方針を変えると、「信念がないのか」と言われる。
態度を変えると、「裏切りだ」と言われる。
変わることへの批判が厳しすぎる。
だから、間違いに気づいても、方向転換できない。
政治家が最もこの圧力にさらされている。
「あなたは3年前にこう言いましたよね」
過去の発言を掘り返され、矛盾を突かれる。
その結果、何が起きるか。
間違いに気づいても、認められなくなる。
認めたら「ブレた」と言われるから。
一貫性への信仰が、訂正の機会を奪っている。
これは、良いことなのだろうか。
「ブレない」と「学ばない」の境界
ここが難しいところだ。
本当にブレない人がいる。
新しい情報を得て、状況を分析し直して、それでも同じ結論に達する。
考えた上で変わらない。
これは一貫性だ。
一方で、ただ変わらない人がいる。
新しい情報を見ない。異なる意見を聞かない。
考えることなく変わらない。
これは頑固だ。
外から見ると、どちらも「ブレない」に見える。
でも中身は全く違う。
考えた上での一貫性と、考えないことによる頑固。
尊敬に値するのは前者だけだ。
「変わった理由」を語れるか
では、変わることは無条件に良いのか。
そうでもない。
問題は、なぜ変わったかだ。
「新しいデータを見て、考えが変わった」
これは学びだ。尊敬できる。
「支持率が下がったから、方針を変えた」
これは保身だ。尊敬できない。
「相手に圧力をかけられて、意見を変えた」
これは屈服だ。尊敬できない。
変わること自体が問題ではない。
変わった理由が問題なのだ。
そして、変わった理由を正直に語れるかどうか。
「考えが変わりました。理由はこうです」
これを言える人は、ブレているのではない。
誠実なのだ。
自分に問いかけてみる
最近、自分が意見を変えたことはあるだろうか。
変えたとき、それは学びからだっただろうか。
それとも、空気を読んだからだろうか。
逆に、意見を変えなかったことはあるだろうか。
変えなかったのは、考えた上でだろうか。
それとも、変えるのが怖かっただけだろうか。
「ブレない」と「学ばない」の違いは、外からは見えにくい。
でも、自分の中では分かるはずだ。
考えた上で変わらないのか。
考えることを止めて変わらないのか。
その違いは、自分にしか分からない。
ここまでの気づき
- 「ブレない」と「学ばない」は紙一重かもしれない
- 変わること自体が問題なのではなく、変わった理由が問題
- 一貫性への信仰が、訂正の機会を奪っていることがある
明日へ
変わることには二種類ある。
学びから変わること。
保身から変わること。
この二つは、外からは区別がつきにくい。
でも、本人は分かっている。
「責任ある判断」なのか、「ただの保身」なのか。
その境界線はどこにあるのだろう。
明日、考えてみたい。