#15分

迷いの正体 ─ なぜこんなに迷うのか

空海仏教人生生き方迷い30代40代真言宗

なぜ、こんなに迷うのか

空海なら、こう問いかけるかもしれない。「体と口と心、バラバラになっていないだろうか」


走れなくなった

20代は走れた。

資格を取る。仕事で成果を出す。結婚する。家を買う。

やることが見えていた。見えていたから、走れた。

でも、35歳を過ぎたあたりから、足が止まる。

「これでよかったのか」

走り続けてきたはずなのに、なぜか立ち止まっている。

転職すべきか、このままでいいのか。 今の生き方で正解なのか、別の道があったんじゃないか。

答えが出ない。

40代に入ると、その感覚はもっと強くなる。 もう後戻りできない。でも、前に進む道も見えない。

この迷いは、いったい何なのか。


会議室で「賛成です」と言いながら

会議で「賛成です」と言った。

でも、本当は反対だった。

「このプロジェクト、面白そうですね」と言った。

でも、本当は興味がなかった。

「大丈夫です、やれます」と言った。

でも、本当は無理だと思っていた。


帰り道、なんとも言えない疲労感がある。

体は動いた。言葉も発した。 でも、心がついていかなかった。

これが毎日続く。

心で思っていることと、口で言っていることが違う。 口で言っていることと、体でやっていることが違う。

バラバラだ。

自分が何者か、分からなくなる。


空海も迷っていた

1200年前、空海という人がいた。

真言宗を開いた人。日本仏教史に巨大な足跡を残した人。

でも、若い頃の空海は、迷いまくっていた。

大学に入り、官僚への道を歩み始めた。 当時のエリートコースだ。安定した将来が約束されていた。

でも、空海は中退した。

「何のために生きるのか、分からない」

その問いに答えが見つからなかったから。

周りからは「おかしくなった」と思われただろう。 親は嘆いただろう。 友人は離れていっただろう。

それでも、空海は山に入った。

一人で修行し、一人で問い続けた。


空海の答え

空海は、迷いの正体を見つけた。

三密(さんみつ)の不一致。

身(体)、口(言葉)、意(心)。

この三つがバラバラになっている。

それが迷いの正体だ、と空海は言った。


心では「嫌だ」と思っているのに、体は動いている。

口では「好きです」と言っているのに、心は別のことを考えている。

体では頑張っているのに、心は「もう辞めたい」と叫んでいる。

三つがバラバラ。

だから、自分が何者か分からなくなる。 だから、どこに向かえばいいか分からなくなる。


じゃあ、どうすればいいのか

空海は「即身成仏」を説いた。

難しい言葉だけど、意味はシンプルだ。

「今のあなたのままで、変われる」

特別な修行は要らない。 山にこもる必要もない。 何年も苦しむ必要もない。

三つを揃えるだけでいい。


思っていることを、言う。

言ったことを、やる。

やっていることを、受け入れる。

それだけ。


会議で反対なら、「ちょっと懸念があります」と言ってみる。

興味がないなら、「今回はパスさせてください」と言ってみる。

無理なら、「難しいかもしれません」と言ってみる。

小さなことでいい。

心と口と体を、少しずつ揃えていく。


迷いは「悪」じゃない

もう一つ、大事なことがある。

迷いは、敵じゃない。

迷うのは、考えているから。 問うのは、感じているから。 立ち止まるのは、気づいているから。

「これでいいのか」と思えることは、すでに成長の証だ。

空海も、迷った末に真実を見つけた。

迷わなければ、見つからなかった。


空海なら、こう問いかけるかもしれない

「体と口と心、バラバラになっていないだろうか」

迷いの正体は、三密の不一致。

会議室で嘘をつく自分。 本音を言えない自分。 思ってもないことをやる自分。

そのバラバラが、迷いを生んでいるのかもしれない。

もし、少しずつでも揃えてみたら。 今日、一つだけ本音を言ってみたら。

何か、変わるだろうか。


次回は「あの頃に戻りたい」という後悔について。

(第2回へ続く)