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「何者かになりたい」は、どこから来たのか

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「何者かになりたい」は、どこから来たのか

「何者かにならなきゃ」。

そう思ったことは、ないだろうか。


SNSを開けば、同世代が活躍している。

起業した人。本を出した人。フォロワーが万を超えた人。


自分は何をしている。

何者にもなれていない。


その焦り。

どこから来たのだろう。


最初の質問

初対面の人に、最初に何を聞かれるか。


「お仕事は何をされていますか?」


英語では「What do you do?」。

世界中で、ほぼ同じ質問が最初に来る。


でも、これは昔からそうだったわけではない。


産業革命より前、人は「どこの村の人か」「どの教会の人か」で認識されていた。

「何をしている人か」は、二の次だった。


産業革命が、変えた。


工場ができた。会社ができた。

人は「何をしているか」で分類されるようになった。

職業が、アイデンティティの中心になった。


日本では、それが「名刺交換」という形になった。


名刺がなくなったら

会社名。部署。役職。

名刺に書いてあるものが、「自分」になる。


定年退職した男性が、アイデンティティを失うという話をよく聞く。

「自分は何者か」が分からなくなる。


40年間「〇〇会社の△△部長」だった人が、ある日突然「ただの人」になる。


名刺がなくなったら、あなたは誰ですか。


そう聞かれたとき、何と答えるだろう。


比較の拡大

1954年、心理学者レオン・フェスティンガーが「社会的比較理論」を発表した。


人間には、自分の能力や意見を評価したいという根本的な欲求がある。

客観的な基準がないとき、人は他者との比較で自分を測る。


比較対象は、自分と似た人だった。


同じ会社の同期。同じ学校のクラスメート。近所の家族。


それが、変わった。


SNSが、比較の範囲を一気に広げた。


Instagramを開けば、世界中のクリエイターが並ぶ。

Twitterを開けば、同世代の起業家が語る。

TikTokを開けば、10代が才能を見せつける。


比較対象が、「自分と似た人」から「世界中の成功者」になった。


2015年、Verduynらの研究は、「受動的なSNS利用」(スクロールして見るだけ)が幸福感を下げることを示した。


見るだけ。

ただ見るだけで、「自分は何者でもない」という感覚が強まる。


多すぎる選択肢

もう一つ、面白い話がある。


心理学者バリー・シュワルツは、2004年に『選択のパラドックス』を書いた。


選択肢が多すぎると、人は選べなくなる。


有名な実験がある。スーパーでジャムを並べた。

6種類を置いた場合、購入率は30%。

24種類を置いた場合、購入率は3%。


選択肢が4倍に増えたら、購入率は10分の1に下がった。


「何者になるか」にも、同じことが起きていないだろうか。


YouTuber。起業家。フリーランス。デザイナー。プログラマー。

「何者になるか」の選択肢が、無限にある。


農家の子は農家。武士の子は武士。

そういう時代には、「何者かになりたい」という苦しみは、そもそもなかった。


自由は、呪いにもなる。


ここまでの気づき

  • 「何者かになりたい」は自然な欲望ではなく、産業革命以降の社会構造が作った焦り。「お仕事は?」が最初の質問になったのは、比較的最近のこと
  • SNSが比較対象を「自分と似た人」から「世界中の成功者」に拡大した。見るだけで「何者でもない」感覚が強まる
  • 選択肢が増えすぎたことが「何者にもなれない」麻痺を生んでいる。自由は呪いにもなる

明日へ

「何者かになりたい」は、社会が作った焦りかもしれない。

でも、哲学者たちはどう考えたのだろう。

実は、2500年前から「何者か」を疑っていた人たちがいる。

明日は、その話をしてみたい。