#14分

言われた通りにやったのに、怒られた

言われた通り新社会人哲学理不尽エッセイ

言われた通りにやったのに、怒られた

「言われた通りにやっただけなのに、なぜ怒られたのか」。

そう思ったことが、あるだろうか。


社会人になって最初に感じる理不尽のひとつが、これだ。

指示通りに動く。確認を取る。間違いなくこなす。

それなのに、なぜか怒られる。


「そういうことじゃないんだよ」

この一言ほど、新人を混乱させる言葉はない。

じゃあ、どういうことなんだ、と。


指示と期待のあいだ

上司が「この資料、コピーしておいて」と言った。

あなたはコピーをした。20部、両面印刷で。


ところが上司は言う。「なんでホチキスで止めてないの」。


そんなこと、言ってなかった。

言われていないことを、なぜやらなければならないのか。


ここに、指示と期待のあいだにある「溝」がある。

上司が口にした言葉は「コピーしておいて」だ。

でも、上司が期待していたのは「会議で配れる状態にしておいて」だった。


この溝は、どこから生まれるのだろう。


「言葉」と「意図」のズレ

人間のコミュニケーションには、ふたつの層がある。

「言語情報」と「非言語情報」だ。


心理学者のアルバート・メラビアンは1967年の研究で、感情や態度の伝達において、言語情報が占める割合はわずか7%だと指摘した。

残りの93%は、声のトーン(38%)と表情・身振り(55%)で伝わる。


「メラビアンの法則」と呼ばれるこの理論は、しばしば誤解される。

すべてのコミュニケーションに当てはまるわけではない。


でも、本質は突いている。

人間は「言葉だけ」でコミュニケーションしていない。

むしろ言葉以外の部分に、多くの情報が含まれている。


だから「言われた通りにやる」だけでは、足りないことがある。

言葉の背後にある「意図」を読まなければ、期待に応えられない。


なぜ「察して」が求められるのか

日本の職場では特に、この「察する」文化が強い。


人類学者のエドワード・ホールは、1976年の著書『Beyond Culture』の中で、文化を「ハイコンテクスト」と「ローコンテクスト」に分類した。


ローコンテクスト文化(アメリカ、ドイツなど)では、情報は言葉に明示される。

契約書は細かく書かれる。指示は具体的だ。


ハイコンテクスト文化(日本、中国、アラブ世界など)では、情報の多くが文脈や共有された前提に依存する。

言わなくてもわかる、が前提になっている。


日本の職場で「言われた通りにやったのに怒られる」のは、ハイコンテクスト文化の構造的な問題だ。

「言わなくてもわかる」はずのことが、新人には「言われていないこと」として受け取られる。


上司と部下は、まったく異なる文脈の中に立っている。

同じ言葉を聞いて、まったく異なる意味を受け取っている。


「当然知っているはず」という幻想

上司はなぜ、説明しないのだろうか。


認知心理学に「知識の呪縛(curse of knowledge)」という概念がある。

一度何かを知ってしまうと、知らなかった頃の感覚を想像できなくなる現象だ。


1990年、スタンフォード大学の研究者エリザベス・ニュートンが行った実験がある。

ある人が机を指で叩いて有名な曲のリズムを刻む。別の人がその曲名を当てる。


叩く側は「当然わかるだろう」と思っていた。

実際の正解率は2.5%だった。


叩く側の頭の中では、メロディーが鳴り響いていた。

でも聞く側には、ただのノックの音しか届いていない。


職場でも同じことが起きている。

「当然知っているだろう」と思い込んでいる上司と、「言われていない」と感じる新人。

どちらも、間違ってはいない。


ただ、情報の非対称性がある。

そしてその非対称性は、教えるまで埋まらない。


理不尽は、構造的な問題だ

「言われた通りにやったのに怒られた」は、あなたの失敗ではない。


指示の曖昧さ。期待の暗黙性。文化的な前提の不一致。

これらが重なって生まれる、構造的なミスマッチだ。


もちろん、「察する力」を磨くことは大切だ。

でも、察することを一方的に求められる側にいる理不尽も、認識しておくべきだろう。


そして、その構造を理解しているだけで、少し気持ちが楽になる。

「自分がダメだから怒られた」ではなく、「構造的なギャップがあった」と捉えられるから。


ここまでの気づき

  • 「言われた通りにやる」だけでは足りないのは、指示の言葉と期待の意図にギャップがあるから
  • ハイコンテクスト文化の日本では「言わなくてもわかる」が前提だが、それは新人には伝わっていない
  • 「知識の呪縛」によって、上司は新人が知らないことを想像できない。理不尽は構造的な問題だ

明日へ

でも、なぜ「マニュアル通り」に動くことが評価された時代があったのだろう。

産業革命から高度経済成長期まで、「正解がある」ことが前提だった時代。

そしてその前提が、いつ崩れ始めたのか。

明日は、その話をしてみたい。


💬 あなたが「言われた通りにやったのに怒られた」と感じた経験は? コメントで聞かせてください。


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