言われた通りにやったのに、怒られた
「言われた通りにやっただけなのに、なぜ怒られたのか」。
そう思ったことが、あるだろうか。
社会人になって最初に感じる理不尽のひとつが、これだ。
指示通りに動く。確認を取る。間違いなくこなす。
それなのに、なぜか怒られる。
「そういうことじゃないんだよ」
この一言ほど、新人を混乱させる言葉はない。
じゃあ、どういうことなんだ、と。
指示と期待のあいだ
上司が「この資料、コピーしておいて」と言った。
あなたはコピーをした。20部、両面印刷で。
ところが上司は言う。「なんでホチキスで止めてないの」。
そんなこと、言ってなかった。
言われていないことを、なぜやらなければならないのか。
ここに、指示と期待のあいだにある「溝」がある。
上司が口にした言葉は「コピーしておいて」だ。
でも、上司が期待していたのは「会議で配れる状態にしておいて」だった。
この溝は、どこから生まれるのだろう。
「言葉」と「意図」のズレ
人間のコミュニケーションには、ふたつの層がある。
「言語情報」と「非言語情報」だ。
心理学者のアルバート・メラビアンは1967年の研究で、感情や態度の伝達において、言語情報が占める割合はわずか7%だと指摘した。
残りの93%は、声のトーン(38%)と表情・身振り(55%)で伝わる。
「メラビアンの法則」と呼ばれるこの理論は、しばしば誤解される。
すべてのコミュニケーションに当てはまるわけではない。
でも、本質は突いている。
人間は「言葉だけ」でコミュニケーションしていない。
むしろ言葉以外の部分に、多くの情報が含まれている。
だから「言われた通りにやる」だけでは、足りないことがある。
言葉の背後にある「意図」を読まなければ、期待に応えられない。
なぜ「察して」が求められるのか
日本の職場では特に、この「察する」文化が強い。
人類学者のエドワード・ホールは、1976年の著書『Beyond Culture』の中で、文化を「ハイコンテクスト」と「ローコンテクスト」に分類した。
ローコンテクスト文化(アメリカ、ドイツなど)では、情報は言葉に明示される。
契約書は細かく書かれる。指示は具体的だ。
ハイコンテクスト文化(日本、中国、アラブ世界など)では、情報の多くが文脈や共有された前提に依存する。
言わなくてもわかる、が前提になっている。
日本の職場で「言われた通りにやったのに怒られる」のは、ハイコンテクスト文化の構造的な問題だ。
「言わなくてもわかる」はずのことが、新人には「言われていないこと」として受け取られる。
上司と部下は、まったく異なる文脈の中に立っている。
同じ言葉を聞いて、まったく異なる意味を受け取っている。
「当然知っているはず」という幻想
上司はなぜ、説明しないのだろうか。
認知心理学に「知識の呪縛(curse of knowledge)」という概念がある。
一度何かを知ってしまうと、知らなかった頃の感覚を想像できなくなる現象だ。
1990年、スタンフォード大学の研究者エリザベス・ニュートンが行った実験がある。
ある人が机を指で叩いて有名な曲のリズムを刻む。別の人がその曲名を当てる。
叩く側は「当然わかるだろう」と思っていた。
実際の正解率は2.5%だった。
叩く側の頭の中では、メロディーが鳴り響いていた。
でも聞く側には、ただのノックの音しか届いていない。
職場でも同じことが起きている。
「当然知っているだろう」と思い込んでいる上司と、「言われていない」と感じる新人。
どちらも、間違ってはいない。
ただ、情報の非対称性がある。
そしてその非対称性は、教えるまで埋まらない。
理不尽は、構造的な問題だ
「言われた通りにやったのに怒られた」は、あなたの失敗ではない。
指示の曖昧さ。期待の暗黙性。文化的な前提の不一致。
これらが重なって生まれる、構造的なミスマッチだ。
もちろん、「察する力」を磨くことは大切だ。
でも、察することを一方的に求められる側にいる理不尽も、認識しておくべきだろう。
そして、その構造を理解しているだけで、少し気持ちが楽になる。
「自分がダメだから怒られた」ではなく、「構造的なギャップがあった」と捉えられるから。
ここまでの気づき
- 「言われた通りにやる」だけでは足りないのは、指示の言葉と期待の意図にギャップがあるから
- ハイコンテクスト文化の日本では「言わなくてもわかる」が前提だが、それは新人には伝わっていない
- 「知識の呪縛」によって、上司は新人が知らないことを想像できない。理不尽は構造的な問題だ
明日へ
でも、なぜ「マニュアル通り」に動くことが評価された時代があったのだろう。
産業革命から高度経済成長期まで、「正解がある」ことが前提だった時代。
そしてその前提が、いつ崩れ始めたのか。
明日は、その話をしてみたい。
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