第1回: 確率と計算は違う
サイコロは過去を知らない ─ 確率とデータの本当の関係①
ボールを投げる。
角度45度、初速20m/s。
空気抵抗を無視すれば、飛距離は「計算」できる。
約40メートル。
物理法則に従えば、答えは一つに決まる。
では、コインを投げたとき。
表が出るか、裏が出るか。
これは「計算」できるだろうか。
計算できる世界
ニュートンは、宇宙のすべての動きを数式で記述した。
りんごが落ちる速度。
惑星の軌道。
砲弾の着弾点。
すべて「計算」できる。
初期条件(位置、速度、角度など)が分かれば、未来の状態は一意に決まる。
これを「決定論的」という。
決定論的な世界では、「確率」は必要ない。
答えは一つだから。
コインは計算できるか
話をコインに戻す。
物理的には、コインの動きも「計算」できる。
投げる力、角度、空気抵抗、着地の条件。
すべてが分かれば、表か裏かは「計算」で決まる。
でも、人間にはそれが分からない。
投げる瞬間の指の微妙な角度。
空気の流れ。
テーブルの反発係数。
変数が多すぎる。
測定が不可能。
だから、「確率」を使う。
確率とは何か
確率は、「知らない」を扱う道具だ。
物理的には決まっているかもしれない。
でも、私たちには分からない。
その「分からない」を、数字で表現する。
「表が出る確率は50%」
これは、「表が出やすい」という意味ではない。
「私たちには、どちらが出るか分からない」という意味だ。
決定論と確率論
整理してみる。
決定論的計算
- 初期条件が分かれば、結果は一意に決まる
- 例:ボールの飛距離、惑星の軌道、電気回路の電流
確率的予測
- 初期条件が分からない(または複雑すぎる)
- 結果が複数あり得る
- 各結果に「可能性」を割り当てる
- 例:コイン投げ、サイコロ、株価
計算は、「知っている」世界を扱う。
確率は、「知らない」世界を扱う。
ラプラスの悪魔
19世紀の数学者ラプラスは、こう考えた。
「もし、宇宙のすべての原子の位置と速度を知っている知性がいたら、その知性にとって不確実なことは何もない。未来も過去も、すべて『計算』できる」
これを「ラプラスの悪魔」と呼ぶ。
この「悪魔」にとって、確率は必要ない。
すべては決定論的に決まっているから。
でも、私たちは悪魔ではない。
知識には限界がある。
だから、確率が必要になる。
確率は「無知の尺度」
確率は、私たちの「無知」を測る道具だ。
「50%」という数字は、「私たちには分からない」度合いを表している。
もし、コインの初期条件が完全に分かれば、確率は「0%」か「100%」になる。
「確実に表」か「確実に裏」か。
50%というのは、最大限の無知を表している。
ここまでの気づき
1. 計算は「知っている」世界を扱う 初期条件が分かれば、結果は一意に決まる。
2. 確率は「知らない」世界を扱う 知識の限界を数値化する道具。
3. 確率は「無知の尺度」 50%は「私たちには分からない」という意味。
次回
確率が「知らない」を扱う道具だとしたら、誰が最初にその道具を作ったのか。
1654年、フランス。
数学者パスカルとフェルマーが、手紙を交わした。
テーマは「ギャンブル」。
確率論は、賭博問題から始まった。
次回: パスカルとギャンブラー ─ 確率論の誕生