第1回: 看板を見て店に行ったことがあるか
あの看板を右に曲がる ─ 広告の本質を問い直す①
車を運転していて、道路沿いの看板が目に入る。
ラーメン屋、パチンコ店、不動産会社、歯医者、ゴルフ練習場。
毎日のように通る道なら、どこにどんな看板があるか、なんとなく覚えている。
ここで質問がある。
あなたは、看板を見て「この店に行こう」と思ったことがあるだろうか。
正直に思い出してほしい。
「あの看板のラーメン屋、行ってみよう」と思って、実際に行ったことがあるだろうか。
多くの人は、ない。
看板を見て来店を決めた経験は、ほとんどない。
広告なのに、広告として機能していない
看板は広告だ。
広告の目的は、商品やサービスを知らせ、購買を促すこと。
でも、看板を見て「買おう」「行こう」と思う人は少ない。
では、看板は何をしているのか。
「あの看板を右に曲がる」
こんな経験はないだろうか。
誰かに道を説明するとき。
「あの大きな看板を右に曲がって」
「パチンコ屋の看板が見えたら左」
「赤い看板の手前を入る」
看板を、道案内として使っている。
友人の家に行くとき。
「あの看板を過ぎたら、次の信号を左」
自分でもそう覚えている。
看板の内容は覚えていない。
何の店かも覚えていない。
でも「あの看板」の存在は覚えている。
看板がなくなると、道に迷う
ある日、いつもの道を走っていて、違和感を覚える。
何かがない。
見慣れた景色が、少し違う。
看板がなくなっていた。
そして、気づく。
「あれ、次の曲がり角、どこだっけ」
目印がなくなると、道が分からなくなる。
広告として認識していなかったはずなのに。
看板がなくなると、困る。
広告の目的と、実際の機能
看板広告の目的は、集客だろう。
店を知ってもらい、来てもらうこと。
でも実際には、道案内として機能している。
「来てもらう」ではなく、「道を教える」。
広告主が意図した機能と、利用者が実際に使っている機能が、ずれている。
これは、広告の失敗だろうか。
それとも、別の何かが起きているのだろうか。
「存在」は刷り込まれている
考えてみると、不思議なことがある。
看板の内容は覚えていない。
何の店かも覚えていない。
でも「あそこに看板がある」ことは覚えている。
存在は、刷り込まれている。
毎日通る道で、毎日見ている。
意識はしていない。
でも、無意識には入っている。
だから、なくなると気づく。
だから、道案内に使える。
ここまでの気づき
1. 看板を見て来店を決める人は少ない 広告として「買わせる」機能は弱い。
2. でも「存在」としては認識されている 道案内として使われるくらい、場所は覚えられている。
3. この矛盾に、広告の本質が隠れている 「買わせる」だけが広告ではないのかもしれない。
次回
では、看板広告はいくらかかるのか。
月額数万円から数十万円。場所によっては数百万円。
その金額に見合う効果はあるのか。
次回: 看板広告の費用と効果 ─ コスパは良いのに、なぜ投資されないのか