第2回:言い訳という名のダサさ
遅刻したとき、最初に何を言うだろう。
「電車が遅れて」
「道が混んでて」
「アラームが鳴らなくて」
嘘ではない。
電車は本当に遅れたのかもしれない。
道は本当に混んでいたのかもしれない。
アラームは本当に鳴らなかったのかもしれない。
でも、それを聞いた相手の表情を思い出してほしい。
「ああ、そうなんだ」と言いながら、少し冷めた目をしている。
なぜだろう。
事実を言っただけなのに。
言い訳は「正しい」のにダサい
ここが不思議なところだ。
言い訳は、事実として正しいことが多い。
本当に電車は遅れた。本当に道は混んでいた。
嘘をついているわけじゃない。
なのに、ダサい。
聞いている側は「そういうことじゃないんだよな」と思っている。
言っている本人も、どこかで気づいている。
これは理由の説明じゃない。自分を守る行為だ、と。
言い訳の構造
言い訳には共通の構造がある。
「自分は悪くない。原因は外にある」
電車のせい。天気のせい。上司のせい。体調のせい。
原因を自分の外に置く。
そうすることで、自分は傷つかない。
「自分のせいじゃない」と思える。
自尊心は守られる。
でも、何かを失っている。
信頼だろうか。
尊敬だろうか。
それとも、自分自身への正直さだろうか。
「すみません」だけの人
こういう人に会ったことはないだろうか。
遅刻して、一言。
「すみません、遅れました」
理由を聞かれても、
「自分の見積もりが甘かったです」
それだけ。
言い訳をしない。
原因を外に置かない。
ただ、自分の非を認める。
不思議なことに、その人のことをダサいとは思わない。
むしろ、少し信頼が増す。
なぜだろう。
言い訳をしない人は、自分の現実を受け入れている。
「自分のせいだ」と認めることは、痛い。
でも、その痛みから逃げていない。
逃げないことは、ダサくない。
むしろ、静かにかっこいい。
言い訳が増えるとき
振り返ってみると、言い訳が増える時期がある。
仕事がうまくいっていないとき。
人間関係がぎくしゃくしているとき。
自分に自信がないとき。
余裕がないから、自分を守りたくなる。
守りたいから、言い訳が出る。
言い訳が出るから、さらに信頼を失う。
信頼を失うから、さらに余裕がなくなる。
悪循環だ。
そして、この循環の中にいるとき、人はどんどんダサくなる。
本人だけが気づいていない。
言い訳をやめたら何が起きるか
想像してみてほしい。
一週間、言い訳をゼロにしたら、何が変わるだろう。
遅刻したら「すみません」だけ。
ミスをしたら「自分のミスです」だけ。
できなかったら「できませんでした」だけ。
怖いだろうか。
たぶん、怖い。
自分の弱さが丸見えになる気がする。
でも、考えてみてほしい。
言い訳をしているとき、本当に弱さは隠れているだろうか。
周りはとっくに気づいている。
隠れているのは自分の目からだけだ。
言い訳をやめることは、弱さをさらすことではないのかもしれない。
すでに見えているものを、自分でも認めることなのかもしれない。
ここまでの気づき
- 言い訳は「正しい」ことが多い。でもダサい
- 言い訳の本質は、原因を外に置いて自分を守ること
- 言い訳が増えるとき、大体うまくいっていない
明日へ
言い訳に似ているけれど、もっと根深いものがある。
「あの人が悪い」「環境が悪い」「時代が悪い」
すべてを他人のせいにする思考。
他責思考だ。
これがなぜダサいのか。
明日、考えてみたい。