#35分

将来が見えない恐怖 ─ キャリア・老後・死への不安

空海仏教人生生き方迷い30代40代真言宗

将来が怖い

空海なら、こう問いかけるかもしれない。「見えないのは、まだ変えられるからではないだろうか」


夜中の3時に目が覚める

夜中に、ふと目が覚める。

トイレに行きたいわけじゃない。 暑いわけでも、寒いわけでもない。

ただ、目が覚める。

そして、考え始める。

「10年後、どうなってるんだろう」

「老後の資金、足りるのかな」

「病気になったら、どうしよう」

「親の介護は、どうする」


眠れなくなる。

20代の頃は、こんなこと考えなかった。 いや、考えなくて済んだ。

でも今は、見ないふりができない。

将来が見えない。

その恐怖が、夜中の3時に襲ってくる。


10年後の自分が見えない

若い頃は、未来が見えた。

「30歳までに課長になる」 「35歳で家を買う」 「40歳で年収1000万」

根拠はなかったけど、なんとなく見えていた。

でも今は、見えない。

10年後、自分がどこにいるか分からない。 会社があるかも分からない。 業界があるかも分からない。

AIに仕事を奪われるかもしれない。 リストラされるかもしれない。 体を壊すかもしれない。

見えない。

何も見えない。


見えないことは「不安」か?

ここで、ちょっと立ち止まって考えてみる。

「将来が見えない」ことは、本当に不安なことだろうか?


もし、将来が完全に見えたとしよう。

「あなたは52歳で課長のまま定年を迎える」 「退職金は1500万円」 「65歳で糖尿病になる」 「78歳で死ぬ」


これが見えていたら、どうだろう。

楽になるだろうか?

いや、絶望するだろう。

見えてしまったら、変えられない。 決まってしまったら、もう動かせない。

見えないのは、まだ変えられるから。

将来が見えないのは、可能性があるということだ。


空海の「縁起」

空海は「縁起」を説いた。

全ては、原因と条件によって生まれる。

今あなたがすることが、未来を作る。 でも、それだけじゃない。

結果は「縁」によって変わる。

同じ種を蒔いても、土や水や日光によって、育ち方が変わる。

つまり、未来は「あなただけでコントロールできない」。


これは、一見不安に感じる。

でも、逆だ。

コントロールできないからこそ、全てを背負わなくていい

自分にできることをやる。 あとは、縁に委ねる。

それでいい。


「委ねる」ということ

「委ねる」と聞くと、投げやりに聞こえるかもしれない。

でも、違う。

「できることをやった上で、結果を手放す」

それが「委ねる」ということだ。


仕事で最善を尽くす。 でも、結果が出るかどうかは、市場や景気やタイミングによる。

健康に気をつける。 でも、病気になるかどうかは、遺伝や環境や運による。

貯金をする。 でも、老後に足りるかどうかは、インフレや制度変更による。

自分にできることをやる。 それ以上は、コントロールできない。

だから、委ねる。

それは諦めじゃない。 それは、自分の限界を知った上での信頼だ。


「今」しかない

空海は言った。

「今、この瞬間しかない」

将来は「今」の積み重ね。

未来を心配している「今」を、心配で消費している。

将来のために「今」を犠牲にして、何になる?


10年後が不安?

でも、10年後は、今日の積み重ねの結果だ。

今日、できることをやる。 今日、深く生きる。

それが、最善の「将来への備え」だ。


不安になったら、呼吸に意識を向ける。

「今、息を吸っている」 「今、息を吐いている」

それだけで、「今」に戻れる。

将来の不安は、「今」にはない。 「今」にあるのは、ただこの呼吸だけだ。


空海なら、こう問いかけるかもしれない

「見えないのは、まだ変えられるからではないだろうか」

将来が見えないのは、恐怖じゃない。 将来が見えないのは、可能性なのかもしれない。

見えてしまったら、もう変えられない。 見えないから、まだ変えられる。

自分にできることをやって、あとは委ねてみたら。 夜中の3時に起きたとき、考えるのをやめてみたら。

息を吸って、息を吐いて。 今日を深く生きてみたら。

将来は、どうなるだろう。


次回は「誰にも分かってもらえない」という孤独について。

(第4回へ続く)