#45分

孤独という修行 ─ 誰にも理解されない孤独

空海仏教人生生き方迷い30代40代真言宗

誰にも分かってもらえない

空海なら、こう問いかけるかもしれない。「深く潜った先には、何があるだろう」


友達はいる、でも

友達はいる。 家族もいる。 職場の同僚もいる。

でも、分かってもらえない。


「仕事が辛いんだよね」

「みんな同じだよ」

「将来が不安でさ」

「考えすぎじゃない?」

「生きる意味が分からなくなる時があって」

「......」


話せる人はいる。

でも、本当のことは言えない。

表面的な付き合いはできる。 でも、本当の自分を見せられない。


飲み会で笑いながら

金曜の夜、飲み会。

笑っている。 盛り上がっている。

でも、帰り道、妙に虚しい。

一緒にいても、一人だ。

群衆の中の孤独。

30代後半、40代の孤独は、若い頃とは違う。

もう「いつか分かってもらえる」とは思えない。 「いつか仲間が見つかる」とも思えない。

この孤独は、一生続くんじゃないか。

そんな恐怖がある。


空海は一人で山に入った

空海は若くして山に入った。

室戸岬。四国の山々。

一人で修行した。


当時も、仲間と修行する方法はあった。 寺に入り、師匠について学ぶ道もあった。

でも、空海は一人を選んだ。

洞窟にこもり、真言を100万回唱えた。

その間、人と話さない。 ただ一人、宇宙と向き合う。

なぜ、そこまで孤独を選んだのか。


一人でないと、聞こえない音がある

答えはシンプルだ。

一人でないと、聞こえない音があるから。


他者といると、他者に合わせる。

無意識に、相手の期待に応えようとする。 自分の本心より、関係性を優先する。

それは悪いことじゃない。 社会で生きていくために必要なことだ。

でも、そればかりでは、自分を見失う。


一人でいると、自分と向き合わざるを得ない。

他者の声が消えて、初めて自分の声が聞こえる。

「本当は何をしたいのか」 「本当は何を感じているのか」 「本当は何を求めているのか」

その声は、他者といては聞こえない。


空海は、一人で深く潜った。

そして、宇宙と一体になった。

一人だったからこそ、全てとつながった。


孤独を感じるのは、つながりたいから

ここで、大事なことを言う。

孤独を感じるのは、つながりたいからだ。

考えてみてほしい。

もし、本当に一人でよければ、孤独を感じない。

孤独を感じるのは、誰かとつながりたいと思っているから。

つながりたいと思うのは、本来、つながっているからだ。


魚は水を求めない。水の中にいるから。

でも、水から出ると、水を求める。

あなたが孤独を感じるのは、本来のつながりから「離れている」と感じているから。

本当は、つながっている。 でも、そのつながりを感じられなくなっている。


深く潜れ

孤独は「分離」じゃない。

孤独は「深さへの入口」だ。


水面は騒がしい。

波が立ち、風が吹き、雑音が多い。

でも、深く潜ると、静かになる。

もっと深く潜ると、全てとつながる。


表面でつながろうとしても、つながれない。

深さでつながる。

一人で深く潜った先に、本当のつながりがある。


理解されなくていい

もう一つ。

理解されなくていい。

空海も、当時は理解されなかった。

「大学を辞めて山に入った変わり者」 「唐から変な教えを持ってきた危険人物」

理解されなかった。

でも、空海は理解を求めなかった。

理解されることより、真実を生きることを選んだ。


理解を求めると、相手に合わせてしまう。 相手に分かるように、自分を変えてしまう。 本当の自分から、離れてしまう。

空海は、それを避けた。

理解されなくても、真実を生きる。

その結果、1200年後も、空海の教えは生きている。


あなたも、理解されなくていい。

理解されることより、真実を生きること。

それが、孤独の意味だ。


空海なら、こう問いかけるかもしれない

「深く潜った先には、何があるだろう」

表面でつながろうとしても、うまくいかない。 浅いつながりで孤独を紛らわしても、何か満たされない。

一人で深く潜ってみたら。 自分の声を聞いてみたら。 本当の自分と向き合ってみたら。

その先に、何があるだろう。

深く潜った者同士は、言葉がなくても分かり合えるという。

孤独は終点じゃないのかもしれない。

孤独は、深さへの入口なのかもしれない。


次回は最終回。「結局、どう生きればいいのか」。

(最終回へ続く)