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逃げた人が、勝っている

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逃げた人が、勝っている

日本で最も長く平和を保った人は誰か。


徳川家康だ。

江戸幕府、260年。

戦国の世を終わらせ、太平の時代を築いた男。


この男が若い頃、戦場から逃げ帰ったことがある。

たった5人で。


三方ヶ原の大敗

1573年1月。三方ヶ原(みかたがはら)。


家康は、当時最強と言われた武田信玄と戦った。

結果は、惨敗。


家康の軍はほぼ壊滅した。

家康自身は、わずか5人の家来と共に浜松城へ逃げ帰った。


普通なら、ここで終わりだ。

大敗して逃げ帰った武将を、誰が信じるだろう。


でも、家康は面白いことをした。


浜松城に戻ると、城門を全開にした。

松明を焚き、太鼓を打たせた。


追ってきた武田軍の将・山県昌景は、これを見て止まった。

「罠だ」

開け放たれた城、煌々と灯る松明。裏に何かあると疑った。


武田軍は撤退した。


逃げ帰った男が、ハッタリで敵を退けた。


しかみ像

このとき、家康はもう一つのことをしたと伝えられている。


自分の惨めな姿を、絵師に描かせた。


顔をしかめ、痩せこけた敗将の姿。

「しかみ像」と呼ばれる肖像画だ。


家康はこの絵を生涯持ち歩いたと言われている。

勝って慢心しそうになるたびに、この絵を見た。

「あのときの自分を忘れるな」と。


最近の研究では、この絵が本当に家康かどうか議論もある。

でも、伝承として残っていること自体が面白い。

「逃げた日を忘れなかった男」の話として、400年以上語り継がれている。


そして、信玄は死んだ

三方ヶ原で勝った武田信玄は、その後どうなったか。


数ヶ月後、病で亡くなった。

1573年5月。


勝った男は、死んだ。

逃げた男は、260年の平和を築いた。


勝敗は、その日には決まらない。


1万人の退却

もう一つ、逃げた話をしたい。

家康より2,000年前の話だ。


紀元前401年。ペルシャ帝国の奥深く。

約1万人のギリシャ傭兵が、取り残された。


彼らはキュロスという王子に雇われて、ペルシャに遠征していた。

ところが、雇い主のキュロスが戦死した。


1万人の傭兵だけが、敵地の真ん中に残された。

故郷のギリシャまで、数千キロ。


さらに悪いことが起きた。

ペルシャ側が「交渉しよう」と持ちかけ、ギリシャ軍の将軍たちを招いた。

罠だった。将軍たちは捕らえられ、処刑された。


1万人の兵士。指揮官なし。敵地の真ん中。


クセノフォンという男

このとき、一人の男が立ち上がった。

クセノフォン。


面白いのは、この男は軍人ではなかった。

アテネの哲学者だ。


ほとんど見学のつもりで遠征に参加していた。


その哲学者が、1万人の退却を指揮した。

クルド人の攻撃をかわし、アルメニアの雪山を越え、1年以上かけて帰還を目指した。


そして、ある日。

先頭の兵士たちが山の上に立ったとき、叫び声が上がった。


「タラッタ! タラッタ!」

「海だ! 海だ!」


黒海が見えた。

海の向こうには、ギリシャの植民都市がある。

船がある。帰れる。


約6,000人が生き延びた。


進軍より有名な退却

ここで、面白いことに気づく。


この遠征には「クナクサの戦い」という戦闘があった。

ギリシャ傭兵は、実はこの戦闘で自分たちの担当区域では勝っていた。


でも、クナクサの戦いを覚えている人は、ほとんどいない。


みんなが覚えているのは、退却の方だ。

「タラッタ! タラッタ!」の叫び。

雪山を越えた1万人。

哲学者が指揮した撤退。


退却の方が、進軍より有名になった。

逃げることが、偉業になった。


孫子の本当の教え

「三十六計逃げるに如かず」。

聞いたことがある人も多いだろう。


この言葉、孫子の言葉だと思っている人が多い。

実は違う。


「三十六計」は孫子の『孫子兵法』とは別の書物で、著者も不明だ。この「逃げるに如かず」という言葉は、5世紀の中国の歴史書『南斉書』に初出する。


では、孫子は退却について何と書いたのか。


『孫子兵法』の地形篇にこうある。

「進みて名を求めず、退きて罪を避けず。ただ民を保つこと、主に利あるは、国の宝なり」


つまり、こういうことだ。

進んで名声を求めず、退いて処罰を恐れない。

ただ民を守り、君主に利があるなら、そういう将こそ国の宝だ。


「恥を恐れずに退ける将が、最高の将だ」。


2,500年前の兵法家が、そう書いていた。


ここまでの気づき

  • 家康は逃げて260年の平和を築いた。勝った信玄は数ヶ月で死んだ。勝敗はその日には決まらない
  • クセノフォンの退却は進軍より有名になった。逃げることそのものが偉業になりうる
  • 孫子の本当の教えは「恥を恐れずに退ける将こそ国の宝」だった

明日へ

戦場では、逃げた人が勝った。

では、戦場の外ではどうだろう。

哲学者たちは「逃げる」をどう考えたのか。

明日は、そちらの話をしてみたい。