幸運は、準備した人にしか来ない
1928年。
イギリスの細菌学者アレクサンダー・フレミングが、休暇から研究室に戻った。
シャーレにカビが生えていた。
普通なら、捨てる。
実験は台無しだ。
でもフレミングは、捨てなかった。
カビの周りだけ、細菌が死んでいることに気づいた。
ペニシリンの発見。
人類史上最大の「偶然」と言われている。
でも、本当に「偶然」だったのだろうか。
フレミングの「準備」
ペニシリンの発見は、よくこう語られる。
「たまたま窓が開いていて、たまたまカビの胞子が飛び込んできた」
ドラマチックな話だ。
でも、この「たまたま窓が」という部分は、実は神話化されたものだと言われている。
もっと重要なことがある。
フレミングは、6年前にも似たことをしていた。
1922年。フレミングは風邪を引いていた。
鼻水がシャーレに落ちた。普通なら、やり直す。
でもフレミングは、鼻水が落ちた場所の細菌が溶けていることに気づいた。
リゾチーム。涙や鼻水に含まれる天然の抗菌物質だ。
つまり、フレミングは「汚れたシャーレ」から発見するのが、2回目だった。
1回目は鼻水。
2回目はカビ。
フレミングには、他の研究者にはない習慣があった。
「汚れたシャーレを、すぐに捨てない」。
同僚たちは、汚染されたシャーレを見つけたら捨てていた。
当然だ。実験が台無しなのだから。
でもフレミングは、捨てる前に観察した。
「何か面白いことが起きていないか」と。
カビが生えたシャーレは、フレミングの研究室だけに現れたわけではない。
世界中の研究室で、同じことが起きていた。
違いは一つだけ。
フレミングだけが、捨てずに見た。
パスツールの言葉
フレミングの話を聞くと、ある言葉を思い出す。
ルイ・パスツール。
19世紀フランスの化学者・微生物学者だ。
1854年、リール大学の学部長就任講演で、パスツールはこう言った。
「観察の分野において、偶然は準備された精神にのみ味方する」
原文はフランス語だ。
「Dans les champs de l'observation, le hasard ne favorise que les esprits préparés」
この言葉は、パスツール自身の経験から出ている。
パスツールは、ワインの発酵を研究していた。
ある実験で、発酵がうまくいかなかった。失敗だ。
でもパスツールは、その「失敗」を観察した。
なぜうまくいかなかったのか。何が違ったのか。
その観察から、微生物が発酵を引き起こすという大発見が生まれた。
失敗は、誰にでも起きる。
でも、失敗を「観察」する人は少ない。
セレンディピティという言葉
「偶然の幸運」を表す言葉がある。
セレンディピティ。
この言葉を作ったのは、イギリスの作家ホレス・ウォルポールだ。
1754年、友人への手紙の中で初めて使った。
元になったのは、「セレンディップの三人の王子」というペルシャの古い寓話だ。
三人の王子が旅をする。
道中、探していないものを次々と見つける。
通りかかった場所で、失われた宝物の手がかりに気づく。
何気ない風景から、重要な情報を読み取る。
「たまたま見つけた」ように見える。
でも、見つけられたのは、三人の王子に観察力と知恵があったからだ。
セレンディピティは「偶然」と訳されることが多い。
でも、本当の意味は違う。
「準備された偶然」だ。
偶然は、誰の前にも落ちている。
でも、拾えるのは、準備ができている人だけだ。
日常の中の「準備された偶然」
これは、科学者や王子だけの話だろうか。
「いい会社に偶然出会った」。
でも、その人は転職サイトを見ていた。情報を集めていた。
探していたから、見つかった。
「たまたまいい人と出会った」。
でも、その人は新しい場所に出かけていた。人と話す場にいた。
出会える場所にいたから、出会えた。
「偶然、面白い本を見つけた」。
でも、その人は本屋に行っていた。棚を見ていた。
見る準備があったから、見つかった。
偶然を「偶然」にするのは、簡単だ。
家にいればいい。
何も探さなければいい。
偶然を「幸運」にするのも、それほど難しくないのかもしれない。
少しだけ、周りを見る。
少しだけ、いつもと違う場所に行く。
少しだけ、捨てる前に観察する。
フレミングがしたのは、そういうことだった。
ここまでの気づき
- フレミングのペニシリン発見は「偶然」ではなく、6年前から同じ観察を続けていた「準備」の結果だった
- パスツールの「偶然は準備された精神にのみ味方する」は、自身の失敗からの発見体験に基づいた言葉
- セレンディピティの本質は「たまたま」ではなく「準備された偶然」。偶然は誰の前にも落ちているが、拾えるのは準備ができている人だけ
明日へ
運がいい人は偶然を拾える。
幸運は準備した人に来る。
じゃあ、「運が悪い人」は本当に運が悪いのだろうか。
明日は、少し視点を変えてみたい。