#34分

文句を言う人と、作る人

たたき台批評勇気哲学エッセイ仕事挑戦
文句を言う人と、作る人

文句を言う人と、作る人

叩く人と、作る人。

どちらが、えらいのだろう。


前回の続きだ。

叩かれることには意味がある、という話をした。

では、叩く側と、叩かれる台を出す側。立場が違えば、見える景色も違う。


批評は、安全だ

誰かが作ったものに、文句を言う。

「ここが甘い」「詰めが足りない」。


その指摘は、正しいことが多い。

鋭いことも、ある。


でも、批評する人は、何も差し出していない。


安全な場所から、矢を放っているだけだ。

外しても、痛くない。

自分は、的の外にいる。


評論は、いつだって、創作より簡単だ。

作るには十の労力がいるが、けなすには一の言葉で足りる。


闘技場に立つ人

1910年、セオドア・ルーズベルトが、ある演説をした。

「闘技場の人」と呼ばれている。


彼は、こう言った。

栄誉は、批評家のものではない。


栄誉は、顔を泥と汗と血にまみれさせ、

実際に闘技場に立つ人のものだ。


たとえ失敗しても、果敢に挑んだ者は、

勝利も敗北も知らない、冷たく臆病な魂とは、決して並ばない。


100年以上前の言葉だ。

でも、今のSNSを見ているようでもある。


外野から石を投げる声は、いつの時代も大きい。

でも、覚えられるのは、土俵に上がった人の名前だ。


群れと、一匹

叩く人は、群れることができる。

「自分も、そう思っていた」と、後から乗れる。

数の中に、いられる。


作る人は、一人で立つしかない。

最初の一案は、いつも孤独だ。

まだ誰も賛成していない段階で、それを口にする。


この非対称が、最初の一歩を、よりこわくしている。


ただし、叩く人も必要だ

誤解しないでほしい。

叩く人が、悪いわけではない。


批判がなければ、たたき台は磨かれない。

鋭い指摘は、作る人一人では気づけなかった穴を、教えてくれる。

叩く人も、いなければ困る。


ただ、順番がある。


誰かが台を出さなければ、叩くことすら、できない。


最初に置く人がいて、初めて、叩く人の出番が来る。

批評は、創造の後にしか、存在できない。


だから、もし両方できるなら、まず「出す側」に回りたい。

叩くのは、誰かが出してくれた後でも、間に合うのだから。


ここまでの気づき

  • 批評は安全地帯からの行為。指摘が正しくても、その人は何も差し出していない。けなすのは、作るより簡単だ
  • ルーズベルトが讃えたのは批評家ではなく、闘技場で泥にまみれる人だった。覚えられるのは、土俵に上がった人の名前
  • 叩く人も必要。ただし、誰かが最初の台を出さなければ、叩くことすらできない。批評は創造の後にしか存在できない

明日へ

作る人は、えらい。

でも、台を出したあとに、ひとつ試練が待っている。


自分の案を、手放せるか。

明日は、その話を。