自分の案を、手放せるか
たたき台を出した。
叩かれた。
さあ、ここからが、本当の試練だ。
叩かれたとき、人の心には、二つの道が現れる。
受け入れて、よくする道。
守って、抱え込む道。
出した瞬間、自分のものではなくなる
苦労して作った案には、愛着がある。
夜遅くまで考えた。何度も練り直した。
だから、否定されると、自分自身が否定された気がする。
「この案を、守りたい」。
そう思った瞬間。
たたき台は、たたき台でなくなる。
それは「守るべき作品」に変わってしまう。
でも、本当は、出した瞬間に、それはもう自分だけのものではない。
みんなで叩いて、育てていく、共有のものになっている。
執着という罠
出した案に、しがみつく。
すると、議論は止まる。
「でも」「いや」「それは前提が違う」。
反論を、防御で返してしまう。
相手の言葉を、改善案ではなく、攻撃として受け取る。
そうなると、誰も、手を入れられなくなる。
完璧な企画書と、同じ状態だ。
口を出せる隙間が、消えていく。
本当に強い人は、自分の案が壊されても、平気だ。
むしろ、よりよくなるなら、喜んで壊す。
自分の正しさより、結果の良さを取る。
守破離
日本に、「守破離」という言葉がある。
型を守り、型を破り、型から離れる。
最後は、最初の型から、離れていく。
そして、それでいい。
たたき台も、同じだ。
最初の案は、離れられるために出す。
会議が終わったとき、原型をとどめないほど変わっていたなら。
それは、失敗ではない。
成功だ。
あなたの一案が、出発点として、ちゃんと役目を果たした証だ。
すねる人、見下す人
場を壊すのは、二種類の人だ。
叩かれて、すねる人。
叩いて、人を見下す人。
どちらか一人でもいると、
次から、誰も台を出さなくなる。
叩く側は、人格ではなく、案を叩く。
出す側は、すねずに、案を手放す。
この二つが揃って、初めて、場が機能する。
安心して、未完成を出せる空気が生まれる。
それを、心理的安全性と呼ぶ。
優しさではなく、率直に叩き合える厳しさの中にこそ、それはある。
ここまでの気づき
- 出した瞬間、案は自分だけのものではなく、みんなで育てる共有物になる。しがみついた瞬間、たたき台は「守るべき作品」に変わってしまう
- 守破離。最初の案は、離れられるために出す。原型をとどめないほど変わったなら、それは出発点として役目を果たした証
- 叩く側は案を叩き、出す側はすねずに手放す。両方が揃って初めて、安心して未完成を出せる場(心理的安全性)が生まれる
明日へ
案は、手放すために出す。
では、最後に。
叩かれて、形を変えて、残っていくもの。
それは、何だろう。
明日は、このシリーズの、最後の話を。