不安は、脳のクセだった
理由もないのに、そわそわする。
胸の奥が、ざわつく。
まだ何も起きていないのに。
そんな夜が、ないだろうか。
不安を感じるたびに、私たちは思う。
自分は、弱いのかもしれない。
心が、どこか壊れているのかもしれない。
でも、そうではない。
不安は、あなたの欠陥ではない。
不安は、警報装置だった
不安には、役割がある。
危険を、先に知らせること。
大昔、人間は草原で暮らしていた。
草むらが揺れる。
音がする。
そのとき、のんびり構えていた人は、どうなっただろう。
猛獣に、食べられた。
逆に、いち早く「危ないかもしれない」と感じた人は、逃げられた。
生き延びた。
そして、子孫を残した。
つまり、今を生きる私たちは、不安をよく感じた人たちの子孫だ。
不安は、生き延びるために磨かれてきた力なのだ。
扁桃体という、見張り番
脳の奥に、小さな器官がある。
扁桃体(へんとうたい)と呼ばれる。
ここが、危険の見張り番をしている。
「あぶない」と感じた瞬間、真っ先に反応する。
面白いのは、その速さだ。
考えるより先に、体が動く。
熱いものに触れて、手を引っこめる。
「熱い」と判断する前に、もう引っこんでいる。
不安も、これに近い。
理由を考える前に、ざわつきが来る。
だから、「なぜ不安なのか」がわからないことも多い。
見張り番は、理屈で動いていない。
ただ、先に警報を鳴らしているだけだ。
「消すべきもの」ではなかった
ここで、見方を変えてみたい。
不安を、消そうとしなくていい。
不安は、敵ではない。
火災報知器を、想像してみる。
鳴るとうるさい。
でも、外してしまったら、本当の火事に気づけない。
不安も、同じだ。
うるさいけれど、あなたを守ろうとしている。
問題は、不安があること、ではない。
その報知器が、煙もないのに鳴りすぎることだ。
ほんの少しの気配で、大音量で鳴る。
そのクセと、どう付き合うか。
そこに、本当のテーマがある。
欠陥ではなく、クセ
だから、こう言い換えたい。
不安は、人格の欠陥ではない。
不安は、脳のクセだ。
クセなら、責めなくていい。
クセなら、少しずつ、付き合い方を覚えていける。
「また鳴っているな」
そう気づくだけで、少し距離が取れる。
見張り番は、今日も真面目に働いている。
ときどき、鳴らしすぎるだけで。
ここまでの気づき
- 不安は人格の欠陥ではなく、危険を先に知らせる警報装置。よく不安を感じた祖先が生き延びたからこそ、今の私たちに残っている
- 脳の奥にある扁桃体という見張り番が、考えるより先に警報を鳴らす。だから理由がわからないまま、ざわつくことがある
- 問題は不安があることではなく、煙もないのに報知器が鳴りすぎること。「欠陥」ではなく「クセ」と捉え直すと、少し距離が取れる
明日へ
同じ悩みなのに、昼は平気で、夜だけ苦しい。
そんな経験は、ないだろうか。
不安には、時間帯のクセもあるらしい。
明日は、なぜ夜になると不安が膨らむのか、その話をしてみたい。