不安と、うまく付き合う
ここまで、不安の正体を、少しずつ見てきた。
不安は、脳のクセだった。
夜に膨らみ、まだ起きないことに怯え、消そうとするほど増える。
わかったのは、ひとつ。
不安は、消せない。
だとしたら、残された道は、ひとつしかない。
うまく、付き合っていくことだ。
書くと、外に出せる
まず、いちばん静かで、効く方法から。
不安を、書き出してみる。
頭の中にあるうちは、不安は形を持たない。
ぼんやりして、大きく見える。
でも、紙に書いた瞬間。
それは、頭の外に出る。
「明日の会議が、こわい」
そう書くと、こわさが一行に収まる。
一行に収まるものは、たいてい、思ったより小さい。
自分の中で暴れていたものを、外に取り出して、ながめる。
これだけで、不安との距離が、少し生まれる。
分解すると、正体が見える
書いたら、次は、分けてみる。
「将来が不安」
これは、大きすぎて、手がつけられない。
では、何が不安なのか。
お金か。
健康か。
仕事か。
人間関係か。
分けていくと、ぼんやりした塊が、いくつかの具体に変わる。
そして、そのひとつずつを、こう問う。
これは、自分でどうにかできることか。
それとも、できないことか。
できることには、手を打つ。
できないことは、手放す。
不安の多くは、この仕分けができないまま、ひとつの塊で襲ってくる。
分ければ、ずいぶん小さくなる。
小さく、動いてみる
考えすぎると、不安は育つ。
止まっていると、想像が暴走する。
だから、小さく、動く。
こわい会議があるなら、資料を一枚だけ作る。
体が不安なら、少し歩いてみる。
大きく動かなくていい。
ほんの一歩でいい。
動くと、脳は「今」に戻ってくる。
未来を想像している暇が、なくなる。
手を動かしている間だけは、不安も、静かにしている。
小さな行動は、不安への、いちばん現実的な返事だ。
消えなくても、生きていける
書く。分ける。動く。
どれも、不安を「消す」方法ではない。
不安を、扱いやすくする方法だ。
ここが、大事なところだと思う。
私たちは、つい「不安のない自分」を目指してしまう。
でも、そんな自分は、たぶん来ない。
不安は、生きている限り、隣にいる。
見張り番は、これからも警報を鳴らし続ける。
だったら、消えることを願うより。
いてもいい、と思えるほうが、楽になる。
不安と、並んで歩く
思い出してほしい。
不安は、あなたを守ろうとして生まれた。
少し過保護で、鳴らしすぎるだけの、まじめな見張り番だ。
その存在を、敵だと思うと、苦しくなる。
同行者だと思うと、少し肩の力が抜ける。
「また心配してくれてるんだね」
そのくらいの距離で、ながめてみる。
不安をゼロにする必要は、なかった。
不安を抱えたまま、それでも、歩いていければいい。
正体がわかれば、こわさは、少し薄れる。
見張り番を、一人、連れて。
今日も、静かに、歩いていく。
ここまでの気づき
- 不安は消せない。だから「書く・分ける・動く」で、消すのではなく扱いやすくする。書けば頭の外に出て、思ったより小さく見える
- 大きな塊を分解し、できることには手を打ち、できないことは手放す。小さく動くと脳は「今」に戻り、想像が暴走する隙をなくす
- 目指すのは「不安のない自分」ではなく、「不安を抱えたまま歩ける自分」。正体がわかれば、こわさは薄れ、見張り番は敵ではなく同行者になる
シリーズを終えて
不安は、脳のクセだった。
弱さでも、欠陥でもなかった。
ただ、あなたを守ろうとして、少し鳴りすぎる。
それだけの、まじめな仕組みだった。
正体を知ったあとの不安は、以前ほど、こわくない。
消えなくても、いい。
隣に置いて、並んで歩く。
それで、じゅうぶんだ。