#35分

第2の3-4日後

本屋書店マーケティング陳列平積み出版業界本屋大賞

第3回: 帯と広告の「仕掛け」

本屋の魔法 ─ SNS以前、本はどう売れたのか③


「東大・京大で1番読まれた本」


この帯が巻かれた本がある。

『思考の整理学』(外山滋比古著)。


1986年に刊行された本だ。

21年後の2007年、この帯に変わってから、約190万部を売り上げた。


帯ひとつで、本の運命が変わる。


帯とは何か

本を買うとき、帯を見る。


帯には、キャッチコピーが書かれている。

「感動の大作」「100万部突破」「芥川賞受賞」


あの帯は、誰が書いているのだろうか。


帯の歴史

帯の歴史は、意外と古い。


最古の帯は、1914年の『三太郎の日記』(阿部次郎著)とされている。

1900年説もあるが、いずれにせよ100年以上の歴史がある。


1940年代後半になると、帯の文章を専門に書く人が現れた。

当時はジャーナリストや学者、作家に外注することが多かった。


その後、「帯封屋」と呼ばれる専門のコピーライターが活躍するようになった。


「日本腰巻文学大賞」という企画

1973年、雑誌『面白半分』で、ある企画が行われた。

「日本腰巻文学大賞」。


帯のキャッチコピーを対象とした文学賞だ。


それくらい、帯のコピーは「作品」として認識されていた。

本の売上を左右する、重要な要素として。


新聞広告「三段八割」

帯だけではない。

出版社は、新聞広告も駆使していた。


「三段八割(さんやつ)」という言葉がある。

朝刊1面下の広告スペースのこと。


単行本、文庫本、事典など、本の広告が並ぶ場所。

ここに広告を出すことは、出版社にとって大きな勝負だった。


幻冬舎・見城徹の「初版50万部」戦略

1993年、幻冬舎が創業した。

創業者の見城徹氏は、大胆な戦略で知られる。


創業時、有名著者6名(五木寛之、村上龍、山田詠美、吉本ばなな、篠山紀信、北方謙三)による6冊を同時刊行。

朝日新聞に「文芸元年。歴史はここから始まる」という全面広告を出した。


「売れなかったら自己破産」という覚悟の決断だったという。


『ダディ』1週間で100万部

見城氏の戦略を象徴する事例がある。

郷ひろみの自伝『ダディ』(1998年)だ。


初版50万部という異例の決断。

出版3日後に30万部増刷。

出版5日後に20万部増刷。

1週間で累計100万部。実売率93%。


見城氏はこう語っている。

「初版50万部から始めたから、1週間で100万部に達した。5万部から始めていたら、せいぜい20万部しかいかない」


「刷るから売れる」という戦略

これは、面白い構造だ。


普通は「売れそうだから刷る」と考える。

でも、見城氏は「刷るから売れる」と考えた。


大量に刷る。

書店に大量に並ぶ。

大量に並んでいると、話題になる。

話題になると、売れる。


自己成就的な戦略。

「話題を作る」プロの仕事だ。


帯と広告の「仕掛け」

振り返ると、出版社は「仕掛け」のプロだった。


帯のコピーで、第一印象を決める。

新聞広告で、認知を広げる。

初版部数で、話題を作る。


これらは、すべて「本が売れる前」に仕掛けるものだ。


SNS以前、本は「仕掛け」で売れた。

出版社の営業力、マーケティング力、そして「賭け」の力で。


ここまでの気づき

1. 帯は「本の第一印象」を決める重要な仕掛けだった 21年後に190万部売れた本もある。

2. 出版社は「話題を作る」プロだった 新聞広告、初版部数、すべてが計算された仕掛け。

3. 「刷るから売れる」という戦略があった 売れそうだから刷るのではなく、刷るから話題になり、売れる。


次回

帯と広告は、出版社の仕掛けだった。


でも、本を売るための「お墨付き」は、他にもあった。

芥川賞。直木賞。文学賞。


受賞すると、なぜ本は売れるのか。

その「お墨付き」の構造を、次回は掘り下げる。


次回: 文学賞とメディアの「お墨付き」 ─ 権威が売上を作る時代