消えたアカウント、消えた人生
ある日、知り合いのアカウントが消えていた。
フォローしていた人。よくいいねを押してくれた人。
検索しても、見つからない。
何があったのだろう。
鍵をかけたのか。アカウントを変えたのか。
それとも、もう見ていないだけか。
なぜか、「その人がいなくなった」という感覚が残る。
これは何を意味しているのか。
デジタルデスという概念
「デジタルデス」という言葉がある。
物理的な死ではなく、デジタル空間上での存在の消滅だ。
アカウントを削除する。プロフィールを消す。投稿をすべて非公開にする。
これは、ある種の「死」なのか。
哲学者マルティン・ハイデガーは1927年の『存在と時間』で、「死への存在」という概念を論じた。
死を意識することで、初めて人は「本来の自分」として生きることができる、と。
デジタルアカウントの削除は、デジタル上の「死」だとすれば、それは何かを「本来の自分」に戻すきっかけになるのか。
「痕跡」としての存在
2021年、英国のデジタル遺産協会(Digital Legacy Association)は、ある調査を発表した。
Facebook上には、3,000万人以上の「死者のアカウント」が存在する。
2070年代には、生きているユーザーより死者のアカウントの方が多くなる可能性がある、と。
人は死んでも、SNSに残り続ける。
これは「存在の継続」なのか。それとも「痕跡の放置」なのか。
哲学者ポール・リクールは「記憶、歴史、忘却」(2000年)の中で、こう問うた。
「存在したことは、取り消せない」。
過去に起きたことは、永遠に「起きた」という事実であり続ける。
デジタル上に残った投稿も、同じかもしれない。
アカウントを削除しても、「書いた」という事実は消えない。
消すことの哲学
では逆に、意図的に消す行為には、どんな意味があるか。
アカウントを削除する人の動機は、様々だ。
「精神的な苦しさから逃げたい」。
「見られたくない過去がある」。
「もう使わないから」。
どの理由であっても、「消す」という行為は、ある意味での自由の行使だ。
哲学者ジャン・ポール・サルトルは言った。
「人間は自由であるように呪われている」。
消す自由。存在を選ぶ自由。
どこで生きるかを選ぶ自由。
デジタル上の「死」を選ぶことは、オフラインの「生」を選ぶことでもある。
忘れられる権利
2014年、欧州司法裁判所は「忘れられる権利(Right to be Forgotten)」を認める歴史的判決を下した。
インターネット上の情報から、過去の自分を消す権利。
これは、自己の再定義を可能にする権利だ。
「かつてそうだった自分」ではなく、「今の自分」として存在する権利。
でも、完全には消えない。
スクリーンショットは誰かの端末に残る。
アーカイブサイトは過去を保存している。
ウェブは忘れにくい。
2018年のGDPRでは、削除要請から1ヶ月以内の対応が義務づけられたが、完全消去は「技術的に不可能」とも言われる。
デジタルの海に一度放たれた言葉は、完全には回収できない。
生きていた証明の逆説
ここで、少し立ち止まりたい。
「消えたアカウント=消えた人生」というのは、どこまで正しいのか。
ヴァーツラフ・ハヴェルは言った。
「記憶は、自由の一つの形だ」。
誰かがあなたの投稿を覚えていれば、あなたは存在し続ける。
誰も覚えていなければ、アカウントが残っていても存在は薄れる。
鴨長明は1212年の『方丈記』にこう書いた。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。
川は続いているが、水は常に変わっている。
アカウントが続いていても、「あなた」は変わり続けている。
消えたアカウントが「消えた人生」なのではなく、その痕跡が誰かの記憶に残るとき、人は「生きていた」のではないだろうか。
アカウント削除の翌朝
実際にアカウントを削除した人の証言は、興味深い。
多くの人が「すっきりした」と言う。
一部の人が「孤独になった」と言う。
2023年、スタンフォード大学の研究では、Facebookを1ヶ月停止したユーザーは、停止後に幸福感が上がり、政治的な分極化が減少したことが示された。
デジタルから離れることは、喪失ではなく回復かもしれない。
消えることで、見えてくるものがある。
消えることで、残るものがある。
ここまでの気づき
- デジタルアカウントの削除は「デジタルデス」だが、それはオフラインの自己を取り戻す自由の行使でもある
- 「忘れられる権利」が示すように、過去のデジタル自己から解放されることは、自己の再定義に必要な行為でありうる
- 存在の証明は投稿の数やアカウントの有無ではなく、誰かの「記憶」にある。鴨長明の川のように、人は変わりながら流れていく
明日へ
アカウントを削除する自由がある一方で、「消せない自分」もいる。
オフラインに戻ろうとしても、体がスマホを求める。
常時接続の時代に生まれた世代が感じる、離脱の難しさ。
明日は、そのリアルについて考えてみたい。
💬 アカウントを削除したことはありますか? そのとき、どんな感覚でしたか? コメントで聞かせてください。
📖 このシリーズの他の記事: