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「できない」は、いつ生まれるのか

できない自分新社会人哲学自己肯定エッセイ

「できない」は、いつ生まれるのか

4月が終わった。

あなたは、自分が「できない人間だ」と思ったことがあるだろうか。


入社して一ヶ月。

電話の取り方を間違えた。メールの敬語がおかしかった。資料を作ったら上司に赤を入れられた。


「自分はダメだ」という声が、胸の中から聞こえてくる。


でも、ここで少し立ち止まって考えてみたい。

「できない」という感覚は、どこから来たのだろう。


できる/できないという二項対立

「できる」か「できない」か。

そんな単純な二択で、人間を分けることができるのだろうか。


1954年、心理学者レオン・フェスティンガーは「社会的比較理論」を発表した。

人間は、自分の能力や価値を評価するとき、客観的な基準がなければ他者と比較する。


これは本能に近い。

自分を測るものさしが見つからないとき、人は隣の人を見る。


問題は、「誰と比べるか」だ。


フェスティンガーの時代、比較対象は「自分と近い人」だった。

同じ学校のクラスメート。同じ職場の同期。同じ町の人。


でも今は、違う。


学校が作った「正解の人」

「できない」という感覚が最初に生まれるのは、多くの場合、学校だ。


テストがある。答えは一つだ。100点か、それ以下か。


1837年、ホーレス・マンはアメリカに工場式学校を導入した。

産業革命で工場労働者が必要になった。規律を守り、指示通りに動ける人間を育てるために、学校は設計された。


正解を覚えられる子が「できる子」。覚えられない子が「できない子」。


日本では、明治維新後に学制が整備された。1872年の学制発布だ。

「国民皆学」は、国家の近代化のための仕組みだった。


読み書きそろばん。決まった内容を、決まった方法で、決まった速度で覚える。


そこで測られるのは「正解を処理する速度」だ。

人間の価値の、ほんの一断面にすぎない。


比較は正確か

授業参観というものがある。


子供たちは前を向いて座っている。一人が手を挙げる。正解を言う。先生が褒める。


その瞬間、手を挙げられなかった子の中に「できない」という感覚が生まれる。


人間は、成功した人を見て「自分はダメだ」と感じる。

2013年、ミシガン大学のエタン・クロスは、Facebookの受動的な閲覧が主観的幸福感を低下させることを示した。


人は他者の成功を記憶しやすく、他者の失敗を忘れやすい。

結果として、「周りはみんなできる。自分だけできない」という歪んだ認知が生まれる。


Pew Research Centerの調査が繰り返し示すように、SNSにおけるこの現象はさらに加速する。

成功を投稿する人は多い。失敗を投稿する人は少ない。

だからフィードには「できる人」しかいない。


「自分だけできない」は、データの偏りが作った幻かもしれない。


「できない」の発明者たち

「できない」という概念が生まれる前、人は何を感じていたのだろう。


中世の職人は「徒弟制度」の中にいた。

師匠の技を10年かけて盗む。見習いは「できない」ではなく「修行中」だった。


江戸時代の武士も同じだ。

剣術の道は「守・破・離」(千利休に由来するとされる)。まず型を守り、型を破り、型を離れる。

最初から「できる」ことは求められていない。


「できない」は、時代と社会の構造が作った概念ではないだろうか。


五月病というシグナル

毎年5月になると、「五月病」が話題になる。


4月に入社・入学した人が、ゴールデンウィーク明けに無気力になる現象だ。


医学的には「適応障害」や「うつ状態」に近い。

でも、その根っこにあるのは、多くの場合「できない自分」への直面だ。


「自分が思っていたよりも、できない」。

その衝撃が、心を重くする。


でも、問い返したい。

「できない」のか。

それとも、「まだ馴れていない」のか。


英語には "learning curve" という言葉がある。

新しいことを始めたとき、最初は誰でも「できない」段階がある。

それは失敗ではなく、学習の途中だ。


2013年、ハーバード大学の教育学者デイヴィッド・パーキンスは「Full Game」という概念を提唱した。

最初から実際のゲームをプレイさせる学習法だ。野球を教えるなら、素振りだけでなく、最初から試合に出す。


「できない」のは、ゲームを知らないからだ。

知れば、できる。


ここまでの気づき

  • 「できる/できない」の二項対立は、産業革命以降の工場式教育が作った認知の枠組みだ。すべての人間能力を測れるものさしではない
  • 「周りはみんなできる」は、比較の非対称性が作った幻だ。人は他者の成功を記憶しやすく、失敗を忘れやすい
  • 五月病は「できない自分」への衝撃だが、それは「まだ馴れていない」段階かもしれない。学習の途中と失敗は違う

明日へ

「できない」は社会が作った概念かもしれない。

でも、それを最も鋭く感じるのは「同期」という存在がいるときだ。

同じスタートラインに立ったはずの人間が、なぜかどんどん遠ざかっていく。

明日は、その「鏡」の話をしてみたい。


💬 あなたが「できない」と感じた最初の記憶は、いつ、どんな場面でしたか? コメントで聞かせてください。


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