#56分

「できない」のままで、ここにいる

できない自分新社会人哲学自己肯定エッセイ

「できない」のままで、ここにいる

5回にわたって、「できない自分」について考えてきた。


「できない」は社会が作った概念だ、と言った。

比較は幻だ、と言った。

「即戦力」の呪いは、企業の構造の問題だ、と言った。

「できない」人が世界を変えてきた、と言った。


でも、あなたはまだ、「できない自分」が苦しいかもしれない。


知識があっても、苦しみは消えない。

それが、「心」というものだ。


今日は、戦うことも諦めることもなく、「できない自分」とどう共にいられるか、を考えてみたい。


河合隼雄が見ていたもの

河合隼雄は、日本の心理療法を切り開いた臨床心理学者だ。


1965年、スイスのユング研究所でユング派の心理療法を学び、日本人初のユング派分析家となった。

文化庁長官も務めた人物だ。


河合は、多くのクライアントと向き合う中で、ある気づきを書き残している。


「人間というものは、自分の弱さを認めることによって、初めて強さを持つことができる」


「できない自分」を否定するのではなく、「できない」という事実をそのまま抱えること。

そこから、何かが始まる、と河合は言う。


河合の著書『こころの処方箋』(1992年)には、こんな言葉がある。


「悩んでいる人に必要なのは、答えではない。一緒に悩んでくれる人だ」


あなたが「できない」と悩んでいるとき、あなたに必要なのは「解決策」ではないかもしれない。

「できない」のままでいてもいい、と感じられる空間かもしれない。


鷲田清一の「待つ」という思想

哲学者・鷲田清一は、「待つ」という行為について深く考えた人物だ。


鷲田は2006年の著書『「待つ」ということ』で、こう書いた。


「待つことは、受動的ではない。待つことは、何かが来るための場所を開けておくことだ」


「できる」ようになるために何かをする、という能動性だけが、成長ではない。

「できない」時間を持ちこたえ、待つ。

それもまた、成長の形だ、と鷲田は言う。


「できない」期間は、空白ではない。

何かが育っている時間かもしれない。


日本には「醸成」という言葉がある。

酒や味噌が、時間をかけて発酵し、変化する。

誰も急かせない。急かしても、味は出ない。


「できない」自分も、今、醸成の途中にあるのではないだろうか。


「傷」は窓になる

河合隼雄は、「傷」についてもこう書いた。


「心の傷は、そこから光が入る窓になる」


「できない」という経験は、傷になることがある。

自信を失う。夜中に考えてしまう。誰かに打ち明けられない。


でも、傷がなければ、見えなかった世界がある。


「できない」経験をした人は、「できない」誰かの気持ちがわかる。


職場で新入社員が苦労しているとき、「なぜこんなこともできないんだ」と思う人と、「どこで詰まっているんだろう」と考える人がいる。


後者は、かつて「できなかった」経験を持つ人だ。


それは、弱さではない。

他者への回路が開いている、という強さだ。


「いる」ということの意味

「できる」か「できない」かとは別に、「いる」ということがある。


哲学者マルティン・ハイデガーは「現存在(Dasein)」という概念を提唱した。

「存在することそのもの」を哲学の中心に置いた。


人間は、何かができるから存在する意味があるのではない。

存在していること自体が、まず始まりにある。


これは難しい話ではない。


あなたが職場にいるだけで、誰かの顔が明るくなることがある。

あなたが笑顔で来るだけで、朝の空気が変わることがある。

あなたが素直に「わかりません」と言うだけで、チームに安心感が生まれることがある。


「できること」は、あなたの一部だ。

あなたの全体ではない。


「不完全」を哲学する

日本には、「侘び・寂び」という美意識がある。


千利休が確立した茶道の美学だ。

不完全なもの、古びたもの、非対称なものの中に美を見出す。


完全な器よりも、少し欠けた器の方が、味わい深い。


柳宗悦は1925年の著書『民芸論』で、職人の手仕事の「不均一さ」に宿る美を論じた。

工場で生産された完璧な製品より、職人が一枚一枚作った少し歪んだ皿に、魂が宿ると言った。


「不完全」は、欠陥ではない。

それは「人の手が入った証」だ。


あなたが「できない」と感じる部分も、あなたが試行錯誤してきた証だ。

まだ途中にある、人の手のぬくもりだ。


「頑張れ」とは言わない

ここまで読んでくれたあなたに、「頑張れ」とは言わない。


あなたは、すでに十分に頑張っている。

わからないことを「わからない」と感じながら、毎日出社しているだけで、それは相当なことだ。


「頑張れ」という言葉は、時に「今の頑張りが足りない」というメッセージになる。

今日は、そうではない言葉を選びたい。


「そのままでいい」とも、言わない。

それも正確ではないからだ。


「できない自分」と、少し、仲良くなってほしい。


戦わなくていい。

受け入れなくてもいい。

ただ、「いる」と認めてほしい。


「あ、いるな」と。


できない自分に、会いに行く

最後に、一つの問いを置いて終わりにしたい。


あなたの「できない」部分は、何を恐れているのだろうか。


怒られることを恐れている?

笑われることを恐れている?

見捨てられることを恐れている?


鷲田清一は言った。

「人は、他者に見られることで、初めて自分を見る」


「できない」と感じるとき、あなたは自分を見ている。

それは、自己認識が始まっている、ということだ。


河合隼雄は言った。

「自分の弱いところを知ることは、自分を知ることだ」


「できない自分」を知ることは、「自分を知ること」の入り口だ。


「できない」は、終わりではない。

出発点だ。


ここまでの気づき

  • 河合隼雄の言葉:自分の弱さを認めることで、初めて強さが生まれる。「できない」を否定せず、そのまま抱えることが出発点になる
  • 鷲田清一の「待つ」思想:「できない」時間は空白ではなく、何かが育っている醸成の時間かもしれない
  • 「不完全」は欠陥ではなく、試行錯誤の証。「できない自分」を知ることは、「自分を知ること」の入り口だ

連載を終えて

5回にわたって、「できない自分」を哲学してきた。


「できない」は、産業革命以降の教育構造が作った概念だった。

同期という鏡が、比較の地獄を生んでいた。

「即戦力」の呪いは、企業の構造の問題でもあった。

ダーウィンもアインシュタインも宮沢賢治も、「できない」時代を生きた。

そして今日、「できない」のままで、ここにいることの意味を考えた。


5月は、特別な月だ。

4月の熱が冷め、現実が見えてくる。

自分の「できなさ」が、初めてはっきりと見える。


それは、苦しいことだ。

でも、苦しいということは、感じているということだ。

感じているということは、生きているということだ。


「できない自分」を持て余しているあなたへ。

あなたはすでに、何かを感じている。

何かを考えている。

何かに向き合っている。


それは、もう十分に「いること」ではないだろうか。


ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


💬 「できない自分」と、どう付き合っていますか? 今のあなたの言葉で、聞かせてください。


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